1950年代に活躍した阪神の右腕・渡辺省三も、推定50キロ台の超スローナックルを得意とした。

「魔球伝説」(文春ビジュアル文庫)によれば、ふつうのスローボールはストライクゾーンを水平に横切るのに対し、渡辺のナックルは、上から下へと垂直にストライクゾーンを通過するトンデモボールだった。

 このため、捕手はミットを地面の上に置くようにして受けていたが、渡辺は針の穴を通すような抜群の制球力の持ち主だったことから、ストライクと判定されることも多かった。

 当然打者はバカにされたような気分になり、カッカとして、自分の打撃を見失ってしまう。一発長打タイプの打者は相次いで餌食になったが、なぜか長嶋茂雄(巨人)だけには通用せず、打たれてしまったという。

 オールスターでスローボールを披露したのが、現DeNA監督の三浦大輔だ。

 横浜時代の12年、オールスター第3戦で先発した三浦は、「助走して投げても160キロどころか150キロも出ないから」と“逆の発想”で計測不能のスローボールを計5球投じ、西武時代の中島裕之(現宏之)を三ゴロに仕留めるなど、予定の2回を無失点に抑えた。

 だが、色気を出して3回も続投したのが裏目。来日1年目の李大浩(オリックス)に「緩い球はありがたかった」とスローカーブを狙い打たれるなど、5長短打を許し、「賞が近いと思ったけど、甘かった」と悔やむ結果となった。

 咄嗟の判断で投げた緩いウエストボールが思いがけず魔球になったのが、巨人時代の杉内俊哉だ。

 14年5月20日の西武戦、6回まで無失点に抑えていた杉内は、5対0の7回にエラー絡みで1点を失い、なおも2死一塁で、炭谷銀仁朗を打席に迎えた。炭谷には2回に長打性の当たりを打たれ、センター・松本哲也の超美技で間一髪救われていた。ここで長打を許すと、試合の流れが変わりかねない要注意の場面である。

 ところが、杉内が初球のモーションに入った直後、炭谷はもとより、約3万人の観客もあっけに取られるような珍事が起きる。

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「まさか銀ちゃんが打つとはね」