ライブを再現した展示では実際に使用したギターや衣装が並ぶ
ライブを再現した展示では実際に使用したギターや衣装が並ぶ

 1992年4月25日、シンガー・ソングライターの尾崎豊が26歳でこの世を去り、30年がたった。没後30年の節目に「OZAKI30 LAST STAGE 尾崎豊展」が東京、静岡(~4月25日まで)、福岡(4月29日~)で開催されている。そこには、生粋の尾崎ファンだけでなく生前の尾崎を知らない10代、20代の姿もあった。なぜ、時代を超えて尾崎は愛されるのか――ファンの声を聞いた。

【写真】愛用のギター、Fender Telecaster Yellowを手にする尾崎豊さん

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 会場では、実際に尾崎が愛用した楽器や創作ノート、学習机をはじめ、セットリストやプライベートの写真など貴重な資料が多数展示され、老若男女問わず多くのファンが生きていた時の「尾崎豊」を体感していた。なかには涙を流しながら会場をあとにするファンの姿もあった。

 1982年、青山学院高等部2年生の時にオーディションに合格し、アーティストへの道に進んだ尾崎豊。リアルタイムのファンは尾崎と同年代も多いが、その同年代の子ども世代も親の影響からファンになっているようだ。栃木県から友達3人で訪れた27歳の男性もその一人だ。

「小学校4年生の時からファンです。きっかけはやっぱ、親っすね。お母さんが尾崎ファンでした。最初に聴いた曲は『僕が僕であるために』で、今の歌手にはいない、自分が思っていることを正直に伝えているなと思いました。衝撃というか、放心というか、言葉で言い表せないです。飾らないところが好きですね。売れるようなフレーズじゃなくて、自分が思っていることをストレートに歌ってくれているのが尾崎だな、って。話していたら恥ずかしくなってきたな(笑)。今、27歳で尾崎さんが亡くなった年齢を超えました。やっぱり、生で見たかったなぁ……っていうのはありますよね」(27歳・男性)

 彼のように「親世代の影響」で尾崎の曲と出合った若者は少なくない。

「親父の友達から尾崎を教えてもらいました。最初に聴いた曲は『卒業』で、一番好きな曲は……一曲に絞れないんですが『十七歳の地図』と『I LOVEYOU』と『シェリー』ですね。親父も尾崎の曲は聴いていたみたいですけど、僕より聞いていないです(笑)。高校生の時に、僕も尾崎の歌詞みたいに反抗していて(笑)、僕の心の中にある言葉が尾崎の歌詞の中にあった。自分が尾崎のファンになってから、ガールフレンドにもすすめて聞かせています。“いいね”って言ってくれます」(20歳・男性)

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