ロッテ・佐々木朗希(右)と投手コーチ時代の吉井理人氏
ロッテ・佐々木朗希(右)と投手コーチ時代の吉井理人氏

 ロッテ・佐々木朗希の完全試合は日本中を興奮の渦に巻き込んだ。

【写真】高校球児時代の初々しい佐々木朗希投手

 4月10日のオリックス戦(ZOZOマリン)、160キロを超える真っ直ぐを軸に19奪三振での快挙達成。ロッテのみならず球界を代表するスター誕生の瞬間だった。“令和の怪物”と呼ばれた右腕の覚醒を手助けしたのは、ロッテ入団時から投手コーチとして成長を見守った吉井理人氏(現ロッテ・ピッチングコーディネーター)の存在が大きい。緻密な育成プランが今シーズン、佐々木のブレイクを後押ししているのは間違いない。

 20年1月22日、ルーキーの佐々木がロッテ首脳陣のコーチ会議の結果、春季キャンプで一軍に帯同することが決定した。アマ球界を騒がせた佐々木は当時から多くのマスコミ、ファンに囲まれ注目度は日増しに高まっていた。早い段階での登板を求める声もあったが、周りの雑音に左右されることなく育成プランは徹底された。

西武楽天日本ハムの4球団競合の末にロッテが引き当てた。ノビノビやれる自由な雰囲気があるチームなので溶け込みやすかったはず。吉井氏という球界を代表する投手コーチがいたのも大きい。ドラフト前の挨拶時点から育成プラン等を詳細に説明していたそうです。結果論ですが一番良い球団に入った」(ロッテ担当記者)

「素質は申し分なくメジャー志向があったのですぐにでも契約したかった。NPBでプレーする道を選んだがロッテに入団できて良かった。吉井氏は日米の良い部分を取り入れ選手育成ができる。他球団ならば伸び悩んだ可能性も否定できない」 (MLB極東担当スカウト)

 佐々木育成プロジェクトの中心となったのが吉井氏だった。日米通算121勝を挙げ、現役引退後は日本ハム、ソフトバンク、ロッテで投手コーチを歴任。14年には筑波大大学院へ入学し、野球指導に関する理論面での研究にも力を注いだ。投手を育てるために経験、理論、精神面など幅広い観点から柔軟な指導方法を模索することに定評がある。

「日本ハム時代はダルビッシュ有(パドレス)、大谷翔平(エンゼルス)と話し合っていた姿が記憶に残っています。2人とも日本人離れした体格を誇るので上半身、特にヒジの使い方に悩んでいた時期もあった。吉井氏とともに最善策を見つけ出そうとしていた。研究熱心な2選手だったのでいつも長時間にわたって話をしていましたね」(日本ハム担当記者)

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常に“選手ファースト”だった吉井コーチ