そんな時代の先を行くダウンタウンの漫才は、最初はなかなか評価されなかった。横山やすしは彼らのネタを見て「お前らのやってるのは漫才やない。チンピラの立ち話じゃ!」と酷評した。

 松本は、やすしのような上の世代の漫才師が漫才を一定の型にはめようとすることに違和感を持っていた。そして、「チンピラの立ち話で何が悪い。2人が舞台の上で面白い話をすればそれが漫才だ」という新たな漫才観を打ち立てた。その後、ダウンタウンは漫才師として揺るぎない実績を残し、自らそれを立証してみせた。

 ダウンタウン以降、「日常会話の延長としての漫才」が若手芸人の漫才の主流になり、それが定着していった。技術やセンスはあとからついてくる。何よりもまず、面白いかどうかが重要だ。ダウンタウンによってそんな「面白さ至上主義」の時代が幕を開けた。

 今回のダウンタウンの漫才を見て、私が何よりも感動したのは、彼らが演じていたのが紛れもない「漫才」だったということだ。ダウンタウン以降、フリートークと漫才の境界線は限りなく曖昧になっている。『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!』で彼らが見せていたフリートークは、その場で作り上げる即興漫才のようなものだった。

 今回の漫才でも、ほとんど打ち合わせや事前準備のようなことは行われていないようだが、「クイズを出し合う」というネタの骨組みはしっかりしていた。ところどころで脱線を繰り返しながらも、その主題を軸にして話が展開していく。松本の恐ろしいほど切れ味鋭いボケと、浜田の緩急自在のツッコミ。見る側がそこに安心して身を委ねられる、至福の30分間だった。

 漫才、コント、大喜利……各分野でダウンタウンおよび松本人志が新しく発明したものを数え上げればきりがない。誰よりも伝統に反発していた2人が、新しい笑いの伝統を作ってきた。そんな彼らはこの歴史的な舞台に堂々と「新ネタ」を持ってきた。ダウンタウンの革命は今なお進行中なのだ。(お笑い評論家・ラリー遠田)

著者プロフィールを見る
ラリー遠田

ラリー遠田

ラリー遠田(らりー・とおだ)/作家・お笑い評論家。お笑いやテレビに関する評論、執筆、イベント企画などを手掛ける。『イロモンガール』(白泉社)の漫画原作、『教養としての平成お笑い史』(ディスカヴァー携書)、『とんねるずと「めちゃイケ」の終わり<ポスト平成>のテレビバラエティ論』 (イースト新書)など著書多数。近著は『お笑い世代論 ドリフから霜降り明星まで』(光文社新書)。http://owa-writer.com/

ラリー遠田の記事一覧はこちら