「うしろすがたのしぐれてゆくか」(俳句:山頭火、撮影:宮田裕介)
「うしろすがたのしぐれてゆくか」(俳句:山頭火、撮影:宮田裕介)

■アメリカの空気を吸えば高く飛べる

 宮田さんは17歳のとき、音楽家を志し、ニューヨークを訪れた。

 そのときのいきさつを「バイトしていた土建屋さんで、なんか先が見えちゃって」と、振り返る。

就職して結婚して家を買って、みたいの。それがある日、ばっと見えちゃった。いま思えば、そんな人生もぜんぜんいいと思うんです。でも、あのとき、すごく怖くなった。ああ、死にたいな、くらいの感覚。何とかしなきゃ、と思った。渡米したのは、漫画『スラムダンク』じゃないですけど、アメリカの空気を吸えば高く飛べる気がした、くらいの気持ち。ほんと、あれと同じだな、と思った」

 そして、宮田さんは、こう続けた。

「でも、10代のころに思い描いた夢なんて、なかなかそのとおりにはいかないじゃないですか。ラッパーになるとか。ミュージシャンになるとか」

 打ちのめされたことと渡米は何か関係あるのか?

「ぜんぜん関係ないです。銃で撃たれたとか、そういうドラマチックな打ちのめされ方はしていないです。じわじわと絞め殺されるような感覚がずっと続いてきた」

 半年間の渡米生活は「単純に楽しかった」。しかし、東京で音楽活動を始めた宮田さんは、次第に追い詰められていった。

「音楽やってて、もう限界だな、と思うようになった。売れる売れないじゃなく、もっと自由にやりたかった。あと、引きこもりにはなりたくなかったんです。渋谷のクラブでライブをやって、酒飲んで、暗い部屋に戻って、寝るだけの生活。その繰り返し。まだ20代なのに体が壊れかかっていた」

「何が何やらみんな咲いてゐる」(俳句:山頭火、撮影:宮田裕介)
「何が何やらみんな咲いてゐる」(俳句:山頭火、撮影:宮田裕介)

■どうせ死ぬなら憧れのチベットで

 そんな生活から逃げ出すようにインドへ旅立ったのは25歳のころだった。

「ラップって、ブラックミュージックじゃないですか。そこから民族音楽に興味が湧いて、インドに行った」

 しかし、それ以上に「チベットに興味があった」と言う。

「高校生のころ、『セブン・イヤーズ・イン・チベット』(1997年)という映画を見たんです。ああ、こういう人生があるんだ、と。とんでもない世界を旅して、いいなあ、と思った」

 映画は、第2次世界大戦のさなか、オーストリアの登山家ハインリヒ・ハラーがヒマラヤへ向かったときの実話を基にしたもので、ハーラーはインドでイギリス軍に捕まるものの、脱獄し、チベットに行き着く。

 一方、宮田さんのインドの旅もなかなかスリリングだった。

「麻薬の密売の疑いをかけられて捕まっちゃったんです(本人はまったく身に覚えがないと言う)。でも、いまのうちにって、まわりの人たちが逃がしてくれた。それで、チベットの方に逃げた。この地で死ぬなら、最後、憧れのチベット世界を見て死にたいな、と」

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心にしみた北島敬三さんのアドバイス