昭和9年生まれの87歳(撮影/写真部・東川哲也)
昭和9年生まれの87歳(撮影/写真部・東川哲也)

「エノケンさん、高倉健さん、チエミちゃん……。一番大切な思い出の品からきっぱり捨てました」

【貴重!昭和12(1937)年、朝日新聞に掲載された子どものころの中村メイコさん】

 昭和9年に生まれ、2歳で映画デビュー!それから80年以上にわたって映画や舞台、テレビ番組で活躍してきた中村メイコさん。80歳になったとき、昭和の大スターたちとの大事な思い出の品を一斉に処分しました。今回はメイコさんの思う「笑って死ぬため」の準備について伺いました。

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■エノケンさんからもらったキューピー人形

「大切なものたちとお別れしよう」

 そう決めたのは80歳のとき。といっても、いまはやりの断捨離とか、終活とは少し違います。夫(作曲家、神津善行さん)から「もう、身の丈にあった家に引っ越しましょう」と提案されたのがきっかけです。

 何しろ、それまでの私たちの住まいは、夫婦と3人の子どもたちで住んでいた大きな家。子どもは皆独立したので、夫婦2人で住むには、あまりに広すぎたんです。だけど引っ越すにあたって一番の問題が、これまでためてきた膨大な思い出の品たち。新しいマンションには、とてもじゃないけど入りきらないので、処分しなければいけません。

 だけど急に割り切って、捨てられるものではありません。仲の良かった江利チエミちゃんと高倉健さんの写真を手に取って、しばらく「懐かしいなー」と眺めていると、当時の思い出が蘇ってきます。そんな私を横目に、夫は作曲家の命ともいえるグランドピアノや電子楽器など、どんどん処分していきます。

「もうピアノで作曲する時代ではないから」と夫。

 負けず嫌いの私は、夫に負けていられないと、急にスイッチが入り、「どうせ処分するなら、最初に一番大切なものから捨てていこう」と、心を決めました。

 私にとって一番大切なもの。それは2歳のときから持っていた、セルロイド製のキューピー人形です。くださったのは、昭和の喜劇王・エノケン(榎本健一)さん。

 エノケンさんと初めてお会いしたのは1937(昭和12)年。「江戸ッ子健ちゃん」という映画で芸能界デビューした私は、2歳8カ月というまだオシメも取れていない年齢。幼い私が頑張っている姿を見てか、ご褒美にエノケンさんはたくさんおもちゃをくれました。

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どうしても捨てられない品も