97年シーズンのキャンプイン前に巨人にトレードとなった石井浩郎(写真提供・読売ジャイアンツ)
97年シーズンのキャンプイン前に巨人にトレードとなった石井浩郎(写真提供・読売ジャイアンツ)

 シーズンオフのトレードといえば、年内に成立するパターンがほとんど。この時点で契約更改を済ませていた選手は当然「来年もこのチームで頑張るぞ!」と意欲を新たにするが、時には年明け後の春季キャンプ直前になって、当の選手はもとより、ファンもビックリの駆け込みトレードが成立することもある。

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 生え抜きのスター選手放出にファンが抗議する騒ぎに発展したのが、1985年1月24日に発表された中日・田尾安志と西武・杉本正、大石友好の1対2交換トレードだ。

 前年3連覇を逃した西武は、主砲の田淵幸一が引退。V奪回のためにも、田淵に代わる強打のスターの補強が急務となった。

 一方、広島に3ゲーム差の2位でV逸となった中日も、左の強打者が多い広島、巨人を倒すべく、10勝以上が可能な左腕を欲しがっていた。

 そんな両者の思惑が一致して、キャンプまで1週間ちょっとという時期に商談が成立した。

 ここまでずれ込んだのは、当初西武が大島康徳、中日が杉本プラス森繁和を希望したため、折り合いがつかず、一度話が立ち消えになったからだった。だが、年明け後に交換要員を変更して再交渉した結果、今度は話がまとまった。

 田尾は中日の看板選手だったが、選手会長として要求すべきことを要求し、契約更改もすんなりいかなかったことから、煙たがった球団側が放出に踏み切ったといわれる。

 青天の霹靂ともいうべきトレード通告に、田尾は目に涙を浮かべながら「やっぱり中日という気持ちが強かったですからね。ユニホームが変わって頑張ろうとは、今のところ思えない。切り替えにはもう少しかかると思う」と戸惑うばかりだった。

 トレード発表後、球団事務所にはファンから抗議の電話が殺到。200人分の署名を持参して中日残留を訴えた女子高生もいた。親会社の中日新聞社にも1千本を超える電話が入り、不買運動も起きたという。

 そんな騒ぎを経て、同年、田尾は西武の3番打者としてリーグ優勝に貢献。杉本も86、87年に2年連続二桁勝利と、トレード自体は両チームのいずれも吉と出た。

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久保田龍雄

久保田龍雄

久保田龍雄/1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。

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