安田純平氏(提供)
安田純平氏(提供)

 中東シリアで武装勢力に3年以上、拘束された後、解放されたジャーナリストの安田純平さん。釈放から3年あまりの歳月が過ぎたが、今も多くの謎が残されたままだ。安田氏は帰国後、政府、支援団体など釈放に関わった関係者を丹念に取材、事件の真相に迫った。

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 内戦の続く中東シリアでの3年4カ月にわたる拘束から帰国して3年が過ぎた。「身代金が払われた」との報道が流れ、何の検証もされないまま既成事実のようになっているが、日本政府は実際には何をしていたのか。当事者の視点から振り返った。

 2018年9月13日の夕方、私の妻の携帯電話がなった。妻が8月に行った記者会見に同席したI弁護士からだった。私が解放される40日前のことである。

「トルコの人道支援団体IHHが安田純平さんの解放に向けて動いていて、家族の依頼というかたちにしたいそうです。身代金の話はなく、数日のうちに解放の可能性があるそうです」

 人道支援団体「人道支援復興基金(IHH)」はトルコ最大の人道支援団体で、2011年に始まったシリアの反政府運動とその後の内戦では反政府地域への支援物資の供給を続けている。世界各地の紛争地帯で活動実績があり、エルドアン政権に近い立場にあるとされている。

 日本でも2011年に東日本大震災の被災地への援助を行っており、その際に日本での窓口となった在日トルコ人男性K氏から私の「解放に向けた動き」の情報はもたらされた。K氏の妻は日本人で、I弁護士も知る人権団体の活動に関わっており、K氏の妻からの電話を受けたI弁護士は「信頼できる相手」と判断してK氏とのやり取りを始めたという。

 私がシリアに入った2015年6月23日の朝に携帯電話から妻にメッセージを送って以来、音信不通になってすでに3年3カ月が過ぎていた。その間に拘束者が撮影した動画や画像が公開されていたが、事態が進展する気配は全くなかった。妻は藁にもすがる思いで「家族の依頼」とすることに同意した。

 しかしこのとき、妻はI弁護士から気になることを告げられた。IHHは解放の手続きを進めるにあたって日本政府か家族の同意を求めており、K氏はまず私の件を直接担当している日本の外務省邦人テロ対策室に連絡を取ったが、同意を得られなかったために家族に打診したのだという。

 何があったのか。

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公安調査庁の職員S氏の電話