Netflixのオリジナル映画『浅草キッド』の監督を務めた劇団ひとり
Netflixのオリジナル映画『浅草キッド』の監督を務めた劇団ひとり

 ある程度のお笑い好きの間では、劇団ひとりがビートたけしの熱烈なファンであることはよく知られている。2004~2005年にフジテレビで放送されていたコント番組『リチャードホール』で、ビートたけしになりきる「尾藤武」というキャラクターを演じていた彼のことを覚えている人も多いだろう。

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 劇団ひとりにとって、ビートたけしは「憧れの人」というありきたりな言葉では表現しきれないほど絶対的に神格化された存在である。そんな劇団ひとりが監督・脚本を務めて、ビートたけしの著書『浅草キッド』が映画化されるという話を聞いたとき、個人的には期待と不安が半々だった。

 もちろん劇団ひとり流の「たけし愛」が詰まった興味深い作品になることは予想できていたのだが、行き過ぎた愛情は客観的な目線を失わせることがある。悪い意味で、間口の狭い「同人誌」的な作品になってしまう可能性もあるのではないかと勝手に心配していたのだ。

 いざ蓋を開けてみると、Netflixのオリジナル映画『浅草キッド』は文句なしの傑作だった。原作の『浅草キッド』では、大学を中退して放浪生活を送っていたビートたけしが、浅草のフランス座で師匠の深見千三郎に出会い、そこで修業を積み、漫才師として独り立ちするまでが描かれている。映画では、そんな彼らの師弟関係を軸にして物語が展開される。

 誤解を恐れずに言うと、映画版の『浅草キッド』は、ビートたけしを題材にしたアイドル映画ではないかと思った。

 映画の世界ではアイドル映画というジャンルがある。私の理解では、一般的な映画では「作品が主、役者が従」という関係があるのに対して、アイドル映画ではこれが逆転する。アイドル映画は、主演のアイドルを魅力的に見せるためだけに存在する。

『浅草キッド』では、役者本人ではなく、主題としての「ビートたけし」という存在そのものが絶対的なアイドルとして作品の中心に鎮座しており、作品や役者はそれを引き立たせるための存在となっている。

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ラリー遠田

ラリー遠田

ラリー遠田(らりー・とおだ)/作家・お笑い評論家。お笑いやテレビに関する評論、執筆、イベント企画などを手掛ける。『イロモンガール』(白泉社)の漫画原作、『教養としての平成お笑い史』(ディスカヴァー携書)、『とんねるずと「めちゃイケ」の終わり<ポスト平成>のテレビバラエティ論』 (イースト新書)など著書多数。近著は『お笑い世代論 ドリフから霜降り明星まで』(光文社新書)。http://owa-writer.com/

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