「ウチのほうが実力は上」という優越感がポロリと出てしまったことがアダとなったのが、78年の阪急だ。

 前年まで3年連続日本一の“王者”の相手は、球団創設29年目にして悲願の初Vを実現したヤクルト。下馬評はもちろん阪急が圧倒的に有利だった。

 1勝1敗で迎えた第3戦も、左膝関節炎でシーズン4勝に終わった38歳のベテラン・足立光宏が、コーナーを丹念に突いて3安打完封。広岡達朗監督を「あんなピッチングをされたら、打ちようがない」とボヤかせた。

 だが、第6戦以降にもつれた場合、再登板も予想される足立が「もうないほうがええわ。ここ(本拠地・西宮)で決まるような気がする」と発言したことが、シリーズの流れを微妙に変える。膝の状態が良くないので、再登板は回避したいというニュアンスだったのだが、4勝1敗で阪急のV4達成をほのめかすような発言は、完封負けの屈辱とともにヤクルトの発奮材料になった。

 翌日の第4戦、阪急は5回まで5対0とリードしながら、9回2死からまさかの逆転負け。第5戦も敗れ、本拠地Vどころか、王手をかけられてしまう。

 そして、3勝3敗で迎えた第7戦、先発・足立は0対1の6回、大杉勝男に内角シュートを左翼ポール際に運ばれ、本塁打と判定された。

 この“疑惑の判定”をめぐり、上田利治監督の猛抗議で試合が1時間19分中断。試合再開後、肩がすっかり冷えた足立は降板し、無念の思いでヤクルトの日本一を目の当たりにすることになった。

 流れが変われば、運も逃げていくことを痛感させられたシリーズでもあった。

 足立同様、本拠地つながりの発言が結果的に裏目となったのが、04年の中日・落合博満監督だ。

 10月17日の第2戦、中日は立浪和義の3ランなどで西武のエース・松坂大輔をKO。11対6と大勝し、1勝1敗とした。

 試合後、落合監督は「この2試合でやっと落ち着けたんじゃないのかな。西武ドームでの3連戦もきちんとしたウチの野球ができると思う」と自信をのぞかせた。

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「ナゴヤドームに帰ってこない可能性もありますよ」