1985年帰国した三浦和義氏
1985年帰国した三浦和義氏

 50代以上の人はほとんどが「ロス疑惑」を覚えているだろう。米ロサンゼルスを舞台に夫が妻に保険金をかけて殺したのではないかという疑惑について、テレビのワイドショー、週刊誌、スポーツ紙などが毎日のように情報を流し、それが土石流のように日本列島を覆った時期があった。

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 空前の劇場型事件である。その発端は、ちょうど40年前の1981年11月18日、東京の雑貨輸入会社の社長と妻が出張先のロサンゼルス市内で銃撃されたことだった。この事件が、どのようにして終幕を迎えたか、「劇場」側はどんなツケを払うことになったか、振り返ってみたい。

◆「悲劇の被害者」から「疑惑の主人公」へ

 初めは美談仕立ての記事が中心だった。

 夫の三浦和義社長(当時34歳)は左の太ももに1発、妻の一美さん(当時28歳)は頭に1発を撃ち込まれた。一美さんは救急病院に運ばれたが、意識不明の重体が続いた。夫は米国政府に直訴し、2カ月後に米軍の医療用輸送機で一美さんを日本へ運び、大学病院に入院させた。当時の「FOCUS」誌は「ロスの強盗に妻を植物人間にされた夫の闘い」と報じ、女性誌は「限りなき愛に生きる 眠り続ける妻よ!」という夫の手記を載せた。手記によると、夫は米大統領、カリフォルニア州知事などに対して、日本人旅行者の安全対策などを求める声明文を送ったという。

 一美さんは事件の1年後、死去した。夫の三浦社長は、妻を凶弾で奪われ、1歳の愛娘と残された悲劇の人として報道された。

 しかし、1984年1月、週刊文春が「疑惑の銃弾」の連載を始めるや、三浦社長は一転して保険金殺人という重大な疑惑の主人公になる。

 この連載によると、三浦社長は一美さんに8000万円の死亡保険金をかけ、その数か月後にロスのホテルで一美さんが女性に鈍器で殴られる事件が起きた。三浦社長は保険金をさらに7500万円上乗せし、直後に銃撃事件が起きた。つまり、ロスで「強盗」に撃たれたとき、夫は自分の妻に計1億5500万円の保険金をかけていたことになる。

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「疑惑の銃弾」と警視庁