遺書はキャンディーズのLPの上にあったという…(※写真はイメージ/Gettyimages)
遺書はキャンディーズのLPの上にあったという…(※写真はイメージ/Gettyimages)

 訴状、蹶起趣意書、宣言、遺書、碑文、天皇のおことば……。昭和・平成の時代には、命を賭けて、自らの主張を世の中へ問うた人々がいた。彼らの遺した言葉を「檄文」という。

 保阪正康氏の新刊『「檄文」の日本近現代史』(朝日新書)では、28の檄文を紹介し、それを書いた者の真の意図と歴史的評価、そこに生まれたズレを鮮やかに浮かび上がらせている。今回は、キャンディーズのLPの上に残された遺書から、昭和53年の少年のさみしさに迫る。

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拝啓
おれは今、レコードをききながら泣いている。これからはどうやって生きていいかわからない。
ただいろんなことを考えているだけだ。
おれなんか、死んだ方がいいのかな。
死んで天国に行きたい。
田舎に帰りたかった。
いまさみしくってしようがない。

■いまさみしくってしようがない─少年の自殺

 16歳の少年、江尻富美雄(仮名)は、キャンディーズのLPの上に、この遺書をのこして逝った。昭和53(1978)年3月16日正午すぎ、江尻少年の死体は都営地下鉄工事現場のコンクリート製水槽(高さ3.7メートル、幅7.3メートル、奥行9.5メートル)の水底で発見された。場所は東京都千代田区九段1の1、いわば東京の中心地である。この自殺を報じた読売新聞は、「さびしい、田舎に帰りたい―少年作業員 工事現場で自殺」と社会面の一部をさいた。

 しかしほとんどの新聞は黙殺した。なぜだろうか。

 なにしろこの日は、もうひとつ女子高校生の自殺があった。大学の進路を文科にするか、理科にするか悩み、あげくのはてに日赤医療センター敷地内宿舎屋上からとびおり自殺をはかったのである。こちらのほうが、たしかに人びとの関心を集める。おりしも教育過熱の時代ではないか。

 少年作業員の工事現場での自殺は、女子高校生よりはるかにニュース価値が低いということだろう。とにかくこの少年の死は、都会人の関心をさそうにはあまりにも条件が悪かった。

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