被災地に到着してから3カ月後、ボランティアセンターを去る日が来ました。その日は、たくさんの仲間たちから「おつかれさま」「ありがとう」と声をかけられ見送られています。帰りの新幹線、中村さんは思わず涙しました。「僕はどれだけの人に感謝をすればいいんだろう。どれだけの勇気をもらったんだろう」。そう思うと涙が止まらなかったのです。

◆それでも日常は続く 変えられない自分を引き受ける

 あれから10年。戻ってきた中村さんは何をしてすごしているのか。以前と同様にひきこもり生活を送っています。何度か派遣の仕事をしてみましたが、すぐにやめています。ひきこもりの人たちが集まる居場所を見つけ、そこにも通いましたが、定職には就いていません。いまも現役のひきこもりです。ただし心境には変化がありました。

「ボランティアに行く前と後では、あきらかにひきこもりの『質』が変わりました。それまでは、自分を責めてもがいていました。いつ自分から死ぬかもわからないような状況でした。でも、ボランティアから帰ってきて『ひきこもりながら生きていこう』と。今も働けないので不安ですが、無理に不安を解決せずに生きていこうと。そう思えたので、穏やかにひきこもれています」

 ひきこもっていた青年がボランティア生活で持ち帰ったものは「穏やかなひきこもりの日々」でした。状況が悪くなったと思う人がいるかもしれませんが、私の捉え方はちがいます。これが「日常」というものなんだと思います。被災地で起きたことは非日常であり、非日常のなかでは特別なことも起きます。日常に戻れば、またいつもの自分に戻っていくわけです。劇的なことがあっても、人の性分というものまでは変えられません。もう一歩踏み込んで言うと「自分を変える」ことを諦めて、変えられない自分を引き受ける。そんな心境の変化によって、穏やかな日常を手に入れたのではと思うのです。

 話は逸れますが、世間には「どう変わるべきか」という情報が溢れています。生活スタイルをどう変えれば、よりよい生活になるのか。人への話し方をどう変えれば仕事の能率が上がるのか。子育ての方法をどう変えれば子どもの学力は上がるのか。そのメッセージの一つひとつを否定する気はありませんが、裏を返せば「変わらないとダメ」「変わろうとしない人はもっとダメだ」と言われている気になります。中村さんのように「変わらない自分」を引き受けること。これも生きづらさを突破するカギになるかもしれない。幸せに向かう一つの方法かもしれない。中村さんの話を聞いているとそう思えてなりません。

 なお中村さんは自身の経験を『おーい、中村くん』(生活ジャーナル/2018年刊)や『ひきポス』にも執筆しています。もしよければご参照ください。(文/石井志昂)

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石井志昂

石井志昂

石井志昂(いしい・しこう)/1982年、東京都町田市出身。中学校受験を機に学校生活があわなくなり、教員や校則、いじめなどを理由に中学2年生から不登校。同年、フリースクール「東京シューレ」へ入会。19歳からNPO法人全国不登校新聞社が発行する『不登校新聞』のスタッフとなり、2006年から編集長。これまで、不登校の子どもや若者、識者など400人以上に取材してきた

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