医療機関が休診となる夜間や休日に、救急の往診などの新たな選択肢を提供する「ファストドクター」。現在は自治体と連携し、新型コロナウイルス感染症の自宅療養者への往診なども行っている。週刊朝日ムック「医学部に入る2022」(9月24日発売)では、代表の菊池亮医師に、医師になるまでの道のりと起業へと踏み切った理由を聞いた。

菊池亮医師(写真/高橋奈緒<写真部>)
菊池亮医師(写真/高橋奈緒<写真部>)

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 両親ともに医師という家庭で育った菊池亮医師。患者から喜ばれる姿を間近に見て、その仕事にあこがれを抱いていた。一方、中学3年からはブレイクダンスにはまり、地元・浜松市のダンスチームの活動に気持ちを燃やす日々。高校に進学する頃には、「海外でダンサーになる道」を真剣に考えたという。

「しかし、プロの道は厳しい。ダンスで生涯を尽くすにはセンスが足りない、という現実がだんだんと見えてきました。では将来、何をしようかと自分を見つめ直したときに、両親の姿が思い出された。人に貢献でき、感謝される医師の道を選ぼうと決めたのです」

 しかし、高校2年の終わりに受けた大学入試センター模試の結果は惨憺(さんたん)たるものだった。苦手な英語は200点中80点。これはまずいと一念発起して受験勉強に本腰を入れた。数学も一からやり直し、高3の4月には「数I・A」、5月に「数II・B」、6月に「数III・C」と進めていく。結果、成績が上昇し、現役で帝京大学医学部に合格することができた。

搬送に断られた経験から救急往診事業をスタート

 卒業後は大学病院での研修を経て、同大病院整形外科へ。当直が多く、救急外来を手伝う日々が続いた。そして4年目、勤務先の関連病院でファストドクター起業のきっかけとなる、ある出来事に遭遇する。

「当直をしていたある晩のこと。発熱で受け入れた高齢患者さんに髄膜炎の疑いがあることがわかりました。勤務していた病院では十分な治療ができないので、受け入れ先を探したのですが、決まるまでに19もの病院に断られてしまいました。断る理由のほとんどは、『救急搬送患者が多く、忙しい』というものでした」 

 同じようなことがその後も繰り返され、フラストレーションがたまっていった。何か自分にできることはないのか。毎日のように考え続けた。

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病院勤務後に、二足の草鞋で往診をスタート