現役の医師である傍ら、小説家としても活躍する南杏子医師。在宅医療を描いた『いのちの停車場』(幻冬舎)は映画化され、大きな反響を呼んだ。週刊朝日ムック「医学部に入る2022」(9月24日発売予定)では、医師になるまでの道のりや、小説を通じて伝えたかったことを聞いた。

南杏子医師(写真/張 溢文<写真部>)
南杏子医師(写真/張 溢文<写真部>)

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 医学部に入学したのは33歳のとき、小説家としてデビューしたのは55歳のとき。そして60歳のいま、4作目の小説『いのちの停車場』が映画化された。

「まさかこんなことが自分の人生に起きるなんて、想像もしませんでした」と南杏子医師は笑う。実を言えば、主演の吉永小百合さんの手術シーンで、メスを手渡す看護師役として出演も果たしている。

「吉永さんのセリフの途中でハサミを落としてNGを出してしまって…大失態です。それでも夢のような経験でした」

学士入学の「ママさん」、勉強が楽しくて総代で卒業

 そんな南医師だが、最初に卒業したのは女子大の家政学部だった。雑誌の編集者にあこがれて就職浪人もした。念願かなって育児雑誌の編集者になったとき、一番楽しいのは赤ちゃんの病気のページを作っているときだと気がついた。子どもの頃から人体図鑑が大好きで、ボロボロになるまで読んでいたことも思い出した。

 最初の転機は、1年間の育児休業期間に訪れた。当時、海外留学していた夫とともに、1年間をイギリスで過ごしたのだ。

「現地で子育てしながら、アロマテラピーや語学の勉強をしました。イギリスの大学には30代や40代の学生も多くて、『この年齢でも勉強していいんだ!』と驚きました」

 帰国が近づいたとき、日本の新聞で医学部の学士入学に関する記事を目にした。大学卒業資格を持つ人であれば、少ない受験科目で2年生から編入することができると知った。

「もしかしたら自分にもチャンスがあるかも!」と思い、帰国後すぐに受験勉強を開始。半年後、子どもが1歳半のときに東海大学医学部に合格した。

「新しい世界への扉が開かれた気がしました。年の離れた同級生は『ママさん』と呼んで仲良くしてくれたし、勉強も楽しかった。問題は記憶力の低下で、200以上ある骨の名前を覚えるのが大変すぎて、キャッシュカードの暗証番号を忘れたほどです(笑)」

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40代後半に訪れた、二つめの転機