●「日本で技術、メンタルを建て直し、実績を持った状態で米国再挑戦したかった」

 92年からの米国生活を経て、03年からはNPBオリックスで3年間プレーした。この時期のマックは自身のプレーに対し大きな迷いが生じていた。「迷宮入りしていた」と語るほど投球に悩んでいた。NPBで野球選手としての立て直しを図り、実績を残した状態で再びメジャーを目指すことを視野に入れていたという。

「米国で投げられる自信があったら日本に帰って来なかった。招待選手でメジャーキャンプに参加するチャンスはあったが、その場合、首の皮一枚つながっているかどうかの立場。11人の投手枠を30人くらいで争うが、10番目くらいの投手にアクシデントがないと入れない。僕より実績があったり若くて元気があったりする投手もいる。それなら1度日本に戻って建て直してその先にメジャーという目標をおいた。NPBで結果を出せばメジャー側の評価も違うから」

 しかしオリックスでの3年間は立て直す期間にはならなかった。その後、05年オフにアスレチックスとマイナー契約、翌春キャンプへ参加するも結果を残せなかった。その後はメキシコ、台湾、ベネズエラ、米国・独立などで投げ、11年の関西独立・神戸サンズでの選手兼任監督を最後にユニフォームを脱ぐ形となった。

「やはりNPBは米球界でも評価は高い。メジャーに定着して結果を残したいなら、遠回りに思えてもNPB経由が最も最短距離かもしれない」

 多くの国、カテゴリーで投げたマックが、改めて日本人投手のメジャー成功のためのヒントを教えてくれた。(文中敬称略)

(文・山岡則夫)

●プロフィール

マック鈴木(鈴木誠)/1975年5月31日兵庫県出身。193cm90kg。92年に渡米、96年7月7日のレンジャーズ戦でメジャーデビュー、98年9月14日のツインズ戦で初勝利を挙げる。マリナーズ、メッツ、ロイヤルズ、ロッキーズ、ブリュワーズなどでプレー。02年にはドラフト2位でオリックス入団。06年から再び海外でのプレーを経て11年は関西・独立リーグでプレーイングマネージャーを務めた。MLB通算117試合登板16勝31敗、防御率5.72。NPB通算53試合登板5勝15敗1セーブ、防御率7.53。

山岡則夫/1972年島根県出身。千葉大学卒業後、アパレル会社勤務などを経て01年にInnings,Co.を設立、雑誌『Ballpark Time!』を発刊。現在はBallparkレーベルとして様々な書籍、雑誌を企画、編集・製作するほか、多くの雑誌、書籍、ホームページ等に寄稿している。Ballpark Time!公式ページ、facebook(Ballpark Time)に取材日記を不定期更新中。現在の肩書きはスポーツスペクテイター。