さて、くじらさん。

「障害のある子を悪意から守る」ためには、障害があることが特別なことではないと、多くの日本国民が思えることが重要なことだと思います。

 それは、本当は健全な想像力があれば、分かることです。人間を「障害」や「生産性」で切り捨ててしまうことは、自分がそうなる可能性をまったく想像してないということです。

 でも、人生は何が起こるか分かりません。病気や事故で、以前の「生産性」を失い、「障害」を持つようになる可能性は誰にもあります。自分は絶対にそんなことにならないと断定できる人がいるとしたら、僕には信じられないことですが、今、たまたま自分がそうでないというだけの理由で、「そういった社会的弱者」を切り捨て、悪意をぶつけることは、自分で自分の首を絞めることなのです。率先して自分自身が生き難い世の中を作っているということです。

 と書きながら、私達は「当事者にならないと分からない」ことがよくあります。接客業に就いて初めて客の横柄な態度のインパクトに驚いたり、子供を持って初めて親の苦労が分かったり、リーダーにされて初めて人を指導することの難しさに苦しんだりするのです。

 でも、「当事者にならない限り気持ちが分からない」のでは、いろんなことが手遅れになってしまいます。そのために想像力を使うのですが、それが不十分な時は、「当事者から話を聞く」という方法があります。

 接客業に就く前に接客業の人から話を聞き、子供を持った人から子育ての苦労を聞き、リーダーになっている人から人を導く苦しさを聞くのです。

 そうして、自分の不十分な想像力を補うことが、よりよく生きる方法だと僕は思っています。

 だからこそ、くじらさんの相談を取り上げさせてもらいました。

 くじらさんの相談は、まさに「当事者の話」です。くじらさんの苦労や苦しみを知っていくことが、「障害のある子を悪意から守る」ための一つの方法だと僕は思っているのです。

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