2014年9月に工藤会総裁の野村悟被告宅に入る捜査員(C)朝日新聞社
2014年9月に工藤会総裁の野村悟被告宅に入る捜査員(C)朝日新聞社
工藤会総裁の野村悟被告(C)朝日新聞社
工藤会総裁の野村悟被告(C)朝日新聞社

 市民襲撃4事件で殺人や組織犯罪処罰法違反(組織的殺人未遂)の罪に問われた特定危険指定暴力団工藤会(北九州市)トップで総裁の野村悟被告(74)と、ナンバー2で会長の田上不美夫被告(65)の判決公判が8月24日、開かれた。福岡地裁は野村被告に死刑、田上被告に無期懲役の判決を言い渡した。

【写真】死刑判決を受けた工藤会総裁の素顔はこちら

 福岡地裁は野村、田上両被告が1998年、実行犯らと共謀して元漁協組合長を射殺したと認定。さらに野村被告の命令に基づき、2012年に元福岡県警警部を銃撃し、13年に看護師、14年に歯科医師を刃物で刺して殺害しようとしたとも認定した。

 工藤会の市民への容赦ない襲撃で、恐怖のるつぼと化した北九州市。福岡県警は14年に「頂上作戦」を実施し、野村被告らを逮捕した。

 工藤会は意に沿わない元漁協組合長を射殺、元福岡県警の刑事や歯科医らを相次いで襲撃した。直接の実行犯は工藤会の組員だが、野村被告、田上被告の「指令」があったのか、否かが裁判の焦点となった。

 2人は間接的な証拠しかないと法廷で反論し、無罪を主張。しかし、福岡地裁は、4つの事件に対して、2人の関与を認定し、求刑通りの判決を下した。

「まさか死刑になるとは思わなかったでしょう。今もいる組員たちもびっくりしたと言っていた」

 こう驚くのは、工藤会にかつて所属した50歳代の元組員、Aさんだ。
Aさんは10年ほど前まで、工藤会に在籍していた。ある失敗がきっかけで組から抜けて、現在は福岡県を出て、別の場所でカタギの仕事をしている。福岡出身というAさんは、25歳の頃に中学時代の先輩が工藤会に所属していた関係で、誘われてヤクザの世界に入った。

「当時、フラフラしていた。いい車に乗って、羽振りいい先輩に憧れて工藤会傘下の組員になった。その頃は工藤会の本拠地、小倉もそこそこ、景気良くて、ヤクザをやっていても、結構な稼ぎがありました。1度、事件を起こして数年間、刑務所暮らし。出所するとハクがついて、10年ほどで子分も持てるようになりました」(Aさん)

次のページ
組長から呼び出しと”指令”