衝撃を受けたのは、参加した韓国人女性の話だ。日本に来て4年目の彼女は、「日本に来て(差別などで)驚いたことはありますか?」という質問に、こんな話をしたのだ。

「2年前の渋谷のハロウィーンが忘れられません。夜、渋谷駅の改札付近で隣にいた2人の女性にいきなり男性が近づいてきて『これからホテル行かない?』と声をかけ、衝撃を受けました。そのことに女性たちが笑って断っていたことも驚きました。さらにその後、男性が通りすがりに女性の性器を(洋服の上から)触って改札に入っていったんです。触られた女性はうずくまっていましたが、笑うしかないという感じでした」

 その話しを聞いて、今度は私が驚く番だった。

「ハロウィーンの渋谷の夜だったら駅でそのようなことが起きるのを私は簡単に想像できるけれど、韓国ではそういうことは起きないのですか?」
 
 私の質問に日本人の大学生たちがうなずいた。夜の公共空間で、酒の入った男たちが見知らぬ女性をからかったり、誘ったり、触ってくるようなことは決して「絶対に起きない」ことでないことを私たちは知っている。というか自分自身の体験として、知っている。確かにひどいことではあるが、それは「日本ならではのこと」の話なのか、ということに驚いたのだ。それに対して、その韓国人女性は、お酒が入っているクラブなどではあるかもしれないと言い、それでも公共空間では絶対に起きないし、起きることが信じられないと言い切ったのだった。それは、その場にいた一橋大学に留学している韓国人男性も同じ意見だった。

 あの時代から30年、金学順さんが声をあげてから30年、日本社会が「当たり前」と思っていたことが「性暴力」であったことが告発されてから30年、それでも今もこの社会が変わることができずにあるものの正体の顔は、ずっと同じ場所でニヤニヤとあり続けているのではないか。そんな恐い想像が急に頭から離れなくなった。女の性に値段をつけて、女の身体を自由にすることが男の権利であるかのような文化。「あれは性暴力だった」と訴える声を封じるために、「金をもらったんだろう?」「何が目的だ?」「いつまで謝ればいいんだ?」と全力で被害者の声を攻撃するような残念な振る舞い。そういうものを温存させてきたのが日本の30年だったのではないか。

 若い世代と同じ方向を向いて話せる希望を実感しつつ、私たちが変わることのできなかった泥のように重たい30年を突きつけられる8月14日だった。

北原みのり(きたはら・みのり)/1970年生まれ。女性のためのセクシュアルグッズショップ「ラブピースクラブ」、シスターフッド出版社「アジュマブックス」の代表

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北原みのり

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