「酒井や吉田が落胆していた様子を映像で見ていたはずですし、なんとかしてメダルを首に賭けてあげたかったのだと思います。久保は、関わる人に対する感謝を常に抱いているような選手です。FC東京を離れるときのセレモニーでも監督らに感謝の思いを語っています。今回は特に、力を貸してくれた人への思いは特別でだったはず。特に吉田などは世代が上なのに、自国開催ということで、クラブチームのプレシーズンに参加できないリスクまでを負ってまで(五輪に)来た。人生をかけて来ているのを、久保もわかっている。だからこそ、そこまでしてくれたのに勝たせてあげられなかったという悔しさが、あの涙にあったのだと思います」(同)

 久保のサッカー人生は、特別な軌跡をたどってきた。川崎フロンターレの下部組織に所属した後、小学3年生だった2011年夏にバルセロナの下部組織の入団テストに合格。その後帰国し、レアル・マドリードと電撃契約。マジョルカやビジャレアル、ヘタフェに期限付き移籍し、10代から世界で活躍してきた。

 久保を知るサッカーライターは、「彼を取り巻く状況は昔から異様だった」と振り返る。

「『バルサの少年』として小さな頃から注目されてきて、バルサから帰ってきた当時から、すでに久保への扱いは他の選手とは違っていました。運営側からは、久保に関してだけ『本大会に関する質問以外は一切やめてください』と言われ、『リラックスするために音楽何を聴いてるの』といったフランクな質問も一切許されなかった。試合の結果や分析だけで、人間性には触れることができない関係性が続いていたんです。久保とのやりとりはメディアも遠慮していたくらい、特別な緊張感が漂っていて、彼の内面についてはなかなか踏み込めない状況でした。20歳になったからか、この1年でそうした状況も緩和されましたが、今回の五輪で、初めて彼の人間的な部分を見たような気がします。鉄の心臓かと思っていたのに、弱い部分をみんなの前でさらけ出さないようにしていた、20歳の男の子なんだなと、親近感を感じました」

 久保が流した涙は、初めて自分を“さらけ出せた”瞬間だったのかもしれない。まだ20歳。日本サッカー界のエースはこの涙を超えて、さらなる高みへ昇っていくはずだ。(取材・文=AERA dot.編集部・飯塚大和)