コピー機の前にいる人は当然、誰もがコピーをしたいから並んでいるわけです。「コピーをしたいのです」なんて言葉は、もはや理由としては成り立っておらず、適当かつお粗末なものです。

 しかしこのとき、なんと93%の人が、先を譲ってくれたのです。
 
 つまり、人は内容にかかわらず、「理由がある」というだけで、行動することに意味を見いだしてしまうのです。

■「理由」はささいなことでもいい

 思い出してみれば、私も頼みごとをされたとき、「理由」を加えられると、なぜか動いていた経験があるように思います。

 先日、息子に「ママ、お水が飲みたい」と言われたとき、私は「自分で持ってきたら?」とつっぱねました。

 でもその後で私の母が、「今の時期だと熱中症になりやすいから、いっぱい水を飲むのはいいことだよ」と言ったのです。

 それが私の中で水を持ってきたほうがいいという「理由」となったのでしょう、息子はまったく熱中症になっている気配はなかったのですが、「それなら水を持っていったほうがいい」と、考えが切り替わったのです。

 しかも、息子がいっぱい水分をとれるように、レモンティーに輪切りのレモンを入れるという頼まれもしていない手間をかけて、大きなコップに入れて持っていってあげたのです。
 
 きっと人間は、自分の中に理由が存在しなければ行動しにくい一方で、理由があればそれがよりどころとなり、行動してしまうものなのでしょう。

 しかもその理由は、行動するに値するほどのものでなくてもよく、非常にささいことでも「なんとなく」、無意識に納得してしまう傾向があるようです。

■「自己重要感」を刺激する

 1937年に日本でも出版され、今でも読まれ続けるビジネス書に、デール・カーネギーのベストセラー『人を動かす』があります。

 この本には、誰かに動いてもらうためにはどうすればいいのか、さまざまなテクニック・心構え・方法論が書かれています。

 その一つに、「自己重要感」、つまり「まわりの人にとって重要な人物でありたいという欲求」を満たすという項目があるのですが、「理由を与える」というのは、この自己重要感と関係するのかもしれないと思いました。

 息子にとって母親は重要な存在であるべきなので、「熱中症にさせるわけにはいかない」という理由があれば、母親はそれに合った行動をするべきだと直感的に感じたのでしょう。

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