64年東京五輪でバレーボール女子が優勝を決め、選手から胴上げを受ける大松博文監督(c)朝日新聞社
64年東京五輪でバレーボール女子が優勝を決め、選手から胴上げを受ける大松博文監督(c)朝日新聞社

 まもなく開会する東京オリンピック・パラリンピック競技大会。57年前、1964年東京大会の記録を見ると、興味深いことがわかる。各国の選手たちは、都内の大学、高校のグラウンド、体育館を借りてトレーニングに励んでいたのである。教駒(筑駒)、東京教育大(筑波大)、東京大でのオリンピック選手の練習風景を紹介しよう。

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 1964年オリンピック東京大会。

 世界各国のバレーボール女子の選手たちは試合に備えて、東京教育大学附属駒場高校(教駒)で厳しい練習を積んでいた。現在の筑波大学附属駒場高校、筑駒である。

 そのときの様子を同校生徒が、筑駒の学校史で回顧している。高校1年生だったOさんの話。

「バレーボールコートが二面あるピカピカの巨大体育館落成は驚きの出来事だった。しかもこの体育館には大松監督率いる東洋の魔女たちが練習にやってきたのだ。一行の姿を一目見ようと生徒がおしかけ、校門から体育館までのわずかな移動の間に歓声をあげ、写真を撮った。『日によっては制限されたけど、一般見学が可で体育館の中まで入ることができる日もあった。』(H)体育館の掃き出し口からのぞき込んだ記憶も多くの者にある」(『創立六〇周年記念誌』 2007年 Hとは同級生の名前)。

 高校3年のHさんはこう記している。

「できたてほやほやの体育館は女子バレーボールの練習場となる。鬼の大松。東洋の魔女の片鱗をかいま見させてもらった。ポーランド、アメリカなども来た。その中でもソヴィエトは迫力があった。何かしらのファイトを私自身の内に感ぜずにはおれなかった」(『二十周年記念誌』 1967年)

 バレーボール女子は日本がソ連を決勝戦で破り優勝した。教駒の生徒は金メダリスト、銀メダリストを、校内で目撃していたのである。

 64年大会では都内の大学や高校が、組織委からの依頼で各国選手団に練習施設を提供している。東京大、東京教育大、学習院大、明治大、日本体育大、昭和女子大などだ。

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