私もマイクを持たせてもらったのだが、呼びかけをしながら、これは大変なことが起きているのではないかと、心臓が高鳴った。これまでも性産業の現実を調査する福祉職員らのツアーに参加したことはあるが、働く女性たちにプライバシーを侵害される恐れを与えないための配慮を心がけながら、「存在を消す」ように歩いてきた。女性だけでは危険だからと、男性の用心棒のような人も一緒にいるのが常だった。それが夜の街を生きる女性たちへの配慮であり、業者の男たちから自分たちの身を守ることだと考えていた。

 ところが、今回は「私たちはここにいます、困ったことがあったら声をかけて」と、女性たちだけで道の真ん中を、マイクを持ちながら歩いたのだ。何かを批判するわけでもない、視察するのでもない、侵入するわけでもない、チラシを無理に突き出すこともなく、ただ街の真ん中を堂々と歩きながら、通りを挟むラブホテルやマンションの閉じられた小さな窓の向こうにいるかもしれない誰かに向かって、「私たちはここにいます。困っていたら声かけてね」と声をあげたのだ。

 “福祉なんてあてにならない、性産業は女にとっても最後の砦だ”。そんなことを涼しい顔で言いたがる人はいる。“買う人がいなければ、女性たちが困る”と買春を正当化したがる人もいる。本当にそうなのだろうか。男たちの笑い顔、女たちの真剣な顔を見ながら、そして「ここにいる」と集まった女性たちの横顔を見ながら、性産業が守っているのは女性たちの生活ではなく、男たちの気軽な自由、男たちの買う権利に過ぎないのではないかと思えてくる。

 若いのだから、今しかできないんだから、普通に稼ぐなんて無理なんだから……この社会で女でいるということは、そんな言葉を投げつけられる体験でもある。女性にとっても実は性売買の入り口は広く大きく深い。男たちの需要を死守するために、女性たちが次々に「商品化」され続けてきた社会だ。そしてそれは絶対に変えられない自然のようにも思い込まされてもいた。でも……。青白い光の店内、コスプレした女性たちと若い男たちがにぎやかに遊ぶようにカウンター越しに飲んでいるのが見える。下を向き、足早に目的地に向かう女性が通り過ぎる。よっぱらった顎マスクの男2人組が「なにしてんの~」と物珍しそうに私たちを振り返る。24時間保育園の窓が暗く閉じ、急な階段の上に色あせ剥がれかけたアンパンマンのシールが並んでいる。たくさんの日常の中を歩きながら、そこにあるたくさんの声を感じながら「変えられるのではないか」という思いがわいてくる。少なくとも、「ここにいる」と声をあげた女性たちによって、人生が少し楽になった女性がいるかもしれない。どうしようもなく膝を抱えている女性たちの気持ちが、少し楽になれる時間が生まれるかもしれない。  

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世の中があまりにも女性に冷たいのだ