もちろん政権交代はありますよ。基本的には自民党内派閥の合従連衡、誰が多数派を握るかで決まる。争点らしい争点はなく、当番制みたいなものです。これは失脚とは言いません。

 じゃ、何によって変わるのか。スキャンダルです。日本の政治はスキャンダルによってしか変わらない。私はそう思っています、残念ですけどね。

 田中角栄元首相の場合が典型的ですが、金脈問題と女性問題を暴かれて失脚し、さらにロッキード疑惑が発覚して息の根を止められた。私はあのとき、『週刊ピーナツ』という週刊紙を発刊し、市民運動の立場から戦後政治を牛耳ってきた保守本流でも傍流でもない“保守濁流”を追及しましたが、東京でも、田中の地元の新潟でも目の当たりにしたのは、それまで彼を支持してきた声なき声が一人、また一人とそっぽを向き、田中に愛想を尽かす姿でした。もうほんとに、黙って立ち去っていく、そんな感じでした。

 あ、日本の政治はこうやって変わっていくのか、と思いましたね。議論をがんがん戦わせて変わるんじゃない。声なき声は黙って、すーっと愛想を尽かしていく。その場にいると、ゆっくりと熱が冷めていくのがわかる。

 逆に言うと、日本の権力もけっこう大変なんですよ。声なき声によって立つといっても、声なき声だから、積極的に応援してくれるわけではない。支持されているかどうかわからない、あやふやな基盤の上に乗っかっているだけですから。

――とすると、議会やマスコミが政策を批判するのは意味がない?

吉岡 そんなことはないです。政府がやろうとしていることは間違いだ、あるいは違うやり方があると主張しつづけなければ、権力は暴走する。私はベトナム反戦運動から個人情報保護法、安保法制の問題などの市民運動にも関わってきましたが、何もしなかったら、もっとひどいことになったと思っていますから。

 戦前・戦中と戦後の違いは、個人が自由にものを言えるかどうかでしょう。もちろん個人がものを言い、SNSで発信したからといって、それで世の中が変わるなんて楽観はしていませんよ。でも、政治のダイナミズムとか世の移ろいの機微、そういうものはまったく別のところにある。それは知っておいた方がよい、と思っているだけです。

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マスコミは「全社一丸」になってはいけない