東京VのJ2降格危機を救った“野獣”エジムンド (c)朝日新聞社
東京VのJ2降格危機を救った“野獣”エジムンド (c)朝日新聞社

 東京五輪開幕まで残り2週間となったが、Jリーグは絶賛熱戦展開中。その中で早くも「救世主」の名を授けられているのが、浦和に加入したデンマーク人FWキャスパー・ユンカーだ。リカルド・ロドリゲス監督の下で改革を推し進めながら5勝2分5敗と立ち往生していたチームを、5月9日の仙台戦でのJ1デビューから4試合連続5ゴールで上昇気流(加入後は5勝3分1敗)に乗せた姿は、実に神々しいものだった。今後の働きにも期待が持てるが、過去にはユンカー同様にシーズン途中に加入して大活躍した「救世主」の助っ人たちがいた。

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 真っ先に思い出されるのが、東京VのJ2降格危機を救った“野獣”エジムンドだ。ブラジルの名門ヴァスコ・ダ・ガマやセリエAのフィオレンティーナでゴールを重ね、ブラジル代表として1998年のフランスW杯にも出場した世界的プレイヤー。2001年に1stステージ最下位の低迷から抜け出せずにJ2降格危機にあったチームに加入すると、すぐさま別次元のプレーを披露してチームを活性化。極上のテクニックとドリブル突破、天才的な閃きで次々とチャンスを作りながら、自らも10月31日のデビュー戦(C大阪)から2戦連続ゴール。終盤5試合で3勝1分1敗と勝点を積み上げ、見事にチームをJ1残留に導いた。

 印象深い男は、他にもいる。イタリア語で「救世主」の意味を持つニックネーム(トト)で呼ばれたのが、サルバトーレ・スキラッチだ。地元開催だった1990年イタリアW杯で得点王となったストライカーが磐田に加入したのが、1994年のこと。当時29歳。W杯後は精彩を欠くシーズンが続いて「全盛期は過ぎた」と言われていたが、Jリーグでは別格だった。デビュー戦となった4月30日の1stステージ第13節・東京V戦で早速ゴールを決めると、その後も日本人FWとはレベルの違うシュート技術でゴールネットを揺らし、18試合出場で9得点をマーク。本格的な爆発は翌年(34試合31得点)になるが、中山雅史が故障で長期離脱していたチームの中で貴重な働きを見せた。

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僅かな所属期間で大活躍も