西山は85年ドラフト4位で南海(現ソフトバンク)に入団。87年途中に広島に移籍し、正捕手となった後の94、96年にはベストナイン、ゴールデングラブ賞を受賞。05年からは巨人でプレーし、桑田と再びバッテリーを組んだ。同年限りで現役を引退し、06年から巨人二軍、08年から同一軍バッテリーコーチを務めた。昭和から平成にかけての球界を代表する捕手だった。

「僕がやっていたのは、ひと昔前の野球だった。相手チームの主砲にぶつけたりしたら、次の打席では必ず厳しい球がきた。巨人のコーチになった際、原辰徳監督に『監督が死球だったら次の打席に必ず当てられましたよ」と言ったら、『そうだっけ?』と笑っていました。チーム全体で主砲を守っていた時代です」

「時効だから話せるけど、中日戦なんて激しかった。星野(仙一監督)さんがベンチから『内側いけ』って叫んでいる。そうしたら本当に厳しいボールがくる。当たらないように教えてくれていたのかもしれないですけどね。乱闘が多かったのもわかります。今は試合中に殺伐とした雰囲気も少ない」

 ひと昔前の野球。捕手には主に守備面が求められたが、西山は打てる捕手だったことにも注目したい。広島移籍後、一軍定着のために三塁、外野、代走など多くの役割をこなし打撃に磨きをかけた。94年には初めて規定打席に到達して打率.284、96年にはリーグ8位の打率.314をマークした。

「広島移籍当時は達川光男さんがいたから試合に出るために必死。打撃を磨いて試合に出る機会が増えて、捕手としての経験も積めた。打高投低で失点するなら打ち勝つしかない。打撃が良い捕手が起用されるのは当然で、試合に出ることで結果的に捕手としてもレベルアップする」

「巨人は大城卓三がレギュラー捕手で試合に出場している。守備だけ考えれば小林誠司の方が上だが、打撃で比べると大城になる。森友哉(西武)や会沢翼、坂倉将吾(広島)もそう。甲斐拓也(ソフトバンク)のように守備で認められて打撃が伸びていく形が珍しくなった」

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捕手の死球数が減少