大島さんは異色の経歴だ。中学時代はバレーボール部でアタッカーを務め、中津工業高校から野球を本格的に始めた。68年ドラフト3位で投手として中日に入団すると、野手に転向し、2度のリーグ優勝に貢献。83年には36本塁打で本塁打王のタイトルを獲得した。その後はトレードで日本ハムに移籍し、最年長39歳10カ月で通算2000安打を達成。94年限りで現役引退し、日本ハム監督、WBCの日本代表打撃コーチを歴任した。

 日本ハムの監督時代に担当記者を務めたスポーツ紙の記者はこう振り返る。

「野球に対する愛情、選手に対する愛情はすさまじいものがありました。打撃不振でスタメンから外した選手の精神状態を心配したことが印象に残っています。豪快に見えて、凄く繊細だった。裏表のない性格で誰からも愛されていました。まだまだ野球界に必要な方でしたが…。天国でゆっくり休んでほしいです」

大島さんの生きざまは私たちの脳裏に深く刻まれている。(牧忠則)