「あいつ、完全に当てに来たぞ。2死走者なしなんて、絶好の当てどころだしな」と故意死球を確信した山崎は、怒りをあらわにしてパウエルをにらみつけ、両軍ナインもベンチを飛び出す騒ぎになった。

 試合後、山崎は「これで3回目だぞ!怪我をしたら仕事ができなくなることくらい、お前だって分かるだろ。俺は40歳になるけど、売られたケンカは買うからいつでも来い!」(自著「さらばプロ野球 ジャイアンの27年」宝島社)とマスコミを通じて、パウエルに警告した。これがパウエルにとって日本で最後のシーズンとなった。

“疑惑の死球”で、滅多に怒ったことのない松井秀喜を激怒させたのが、阪神時代のダレル・メイだ。

 99年5月29日の巨人戦の5回1死、二塁走者・清水隆行が三盗のスタートを切った直後、メイの速球が松井の右肘を直撃した。

 ふだん温厚な松井が珍しくバットを投げ捨て、マウンドに向かって歩き出した。メイも「喧嘩上等!」とばかりに近づいていく。だが直後、小林毅二球審が呼び止めると、松井は冷静さを取り戻し、足を止めた。乱闘は寸前回避され、「反対に袋叩きにあっていたかもしれない。止めてくれて良かった」と小林球審に感謝した松井だったが、怒ったのは「(清水が)走ったのを知り、(間に合わないから)ぶつけたのかもしれない」という不自然な死球が理由だった。

 松井の右肘にはボールの縫い目が残り、擦過傷があるため、試合中に湿布もできず、スポンジにテープを巻きつけて腫れを抑える応急処置しかできなかった。

 痛みでバットも満足に振れない状態にもかかわらず、松井は2対2の9回に右中間に福原忍から執念のサヨナラ三塁打を放ったのは、さすがだった。

 翌00年、巨人に移籍し、くしくも松井とチームメイトになったメイは、今度は6月7日の阪神戦で、和田豊が3回続けて打席を外した行為に腹を立て、「To Him」と和田の頭部付近を狙って投げ、10日間の出場停止処分を受けた。言語道断の暴挙と言うしかない。

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