また、銀行や金融機関だけの特有な問題ではなく、コーポレートガバナンスを軽視した東芝の「内向き企業問題」にも類似の症状が見えてきます。

 昭和時代の成功体験の遺産である「年功序列・終身雇用」により、縦割りに硬直しているサイロ型の日本組織は未だに数多いです。一方で、従来のドメスティックな体制ではグローバル社会で闘えないと腹をくくって、トランスフォーメーションに取り組む大企業の存在も確かにあります。

「数年前まで他の部署に話を通すためには、まず上に話を持って行って、上同士で話し合い、他の部署の上から担当へと落とすことが慣習であったが、現在は社内SNSを活用して縦の壁を打ち破り、インナーコミュニケ―ションの量と質が爆発的に高まった」という話を某大企業の役員から最近、聞きました。しかしながら、このような大企業が、残念ながら、多いとは言えません。

 現場の銀行員が経営トップの生の声を聞いて、鼓動を感じることができる機会は年に何回あるのでしょうか。もしかすると、経営トップのプレゼンスを感じることができたのは入行式だけだったのかもしれません。あるいは、日常の現場にとって経営トップは「雲の上」の存在であり、リアリティを感じていないのかもしれない。

 銀行ではありませんが、10年以上前に「渋沢栄一系」の会社の経営トップから「私は、こう言っているんですけどね」というコメントがあった一方、別のタイミングで同じ会社の現場との会合で「上に言っても、ちっとも聞いてくれないのでしょうがない」という声が上がりました。渋沢栄一のDNAを受け継いでいると言っても、全く、その実感がない会社でした。

 結果的に、このような組織では「俺は聞いていなかった」という緊急の事態が生じ、トップが頭を下げて辞任する。組織内の縦横のコミュニケーションがもっと自由闊達であれば、このようなことが起こる可能性はかなり軽減できると考えている自分はナイーブなのでしょうか。

次のページ
みずほ、東芝へ送る渋沢栄一の言葉