そうそう、輪島さんが相撲を引退してからプロレスに転向するとき、同じ相撲上りのレスラーと「輪島さんがプロレスに慣れるまで、俺たちでしっかりガードしてサポートしなきゃいけないね」と話していたんだ。最初は輪島さんのことをみんななんて呼んでいいか迷っていてね。横綱になった人を輪島と呼び捨てにするわけにもいかず、かといって新人を輪島さんと呼ぶわけにもいかない……。そこで、俺が相撲時代にならって「横綱」と呼んでいたら、周りも合わせて、ずいぶんコミュニケーションが取りやすくなったもんだよ。

 輪島さんのすごいところは、相撲を引退して5年間ゴルフしかしていない40歳近いオッサンだったのに、全日本プロレスに入るに当たって毎晩寝る前に飯をたっぷり食って、体重も90キロから120~130キロまでしっかり増やしてきたことだ。輪島さんは独特のプロの感性を持っていたと思う。

 馬場さんとハワイに行く飛行機で、馬場さんがファーストクラス、輪島さんがビジネスクラスに乗っているのを、相撲時代の後援者が見かけて「横綱、どうしてビジネスクラスにいるの? アップグレードするからファーストクラスに行こう」と声をかけたんだ。そうしたら、「いや、今の俺は新弟子だし、顔じゃないから」と断ったそうだ。馬場さんも「相撲ではトップだったかも知れないが、全日本プロレスのトップは俺だぞ」という雰囲気を出していたし、輪島さんもそれを分かっていたんだろうね。

 俺がプロレスに来た輪島さんをボコボコにしたという話に尾ひれがついて広まっているけど、本当は相撲を辞めてゴルフしかしてなかったオッサンなのに、現役バリバリの天龍が全力で攻めても、ギブアップを取れなかったし、根を上げることもなかったというすごさを伝えたかったんだ。

 相撲で横綱までいった人は、一線級のプロレスラーのえげつない攻撃にも耐えられるということだ。俺は輪島さんの顔面をガンガン蹴ったけど、その影響で後年、俺には足首に大きなダメージが残ることになった。輪島さんは本当に頑丈だったんだよ。本人が言うには“イワシのぬか漬け”を食って丈夫になったんだって。アメリカにいるときも日本から取り寄せて食べていたくらいだからね。

 輪島さんはいろいろとスキャンダルもあったけど、一方で決して偉ぶるようなことはなかった。先日、輪島さんの別れた奥さん、前の花籠親方の娘さんに会って「今度、輪島さんのことを話しますよ」と言ったら「お手柔らかに」って言われてね。他にもエピソードが多い人だし、折を見てまた話ができるといいね。

(構成・高橋ダイスケ)

天龍源一郎(てんりゅう・げんいちろう)/1950年、福井県生まれ。「ミスター・プロレス」の異名をとる。63年、13歳で大相撲の二所ノ関部屋入門後、天龍の四股名で16場所在位。76年10月にプロレスに転向、全日本プロレスに入団。90年に新団体SWSに移籍、92年にはWARを旗揚げ。2010年に「天龍プロジェクト」を発足。2015年11月15日、両国国技館での引退試合をもってマット生活に幕を下ろす。

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天龍源一郎

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天龍源一郎(てんりゅう・げんいちろう)/1950年、福井県生まれ。「ミスター・プロレス」の異名をとる。63年、13歳で大相撲の二所ノ関部屋入門後、天龍の四股名で16場所在位。76年10月にプロレスに転向、全日本プロレスに入団。90年に新団体SWSに移籍、92年にはWARを旗揚げ。2010年に「天龍プロジェクト」を発足。2015年11月15日、両国国技館での引退試合をもってマット生活に幕を下ろす。

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