しかし、予想に反して合格。もちろんうれしかったが、周囲の「当然、慶應に入るもの」という空気に戸惑った。

「ずっとめざしていた第1志望に合格したのに、なんで行っちゃいけないの?という違和感はありました」

 それでも慶應に進むことにしたのは、母への恩返しになると思ったからだ。「生意気かもしれないけれど、子ども心に『お母さん、がんばってるな』と思っていたんです。塾の送迎や食事の用意、過去問のコピー。支えてくれた母の期待に応えたかったし、『慶應なら大学受験もないからお母さんに負担をかけなくてすむ』とも思いました。結果的に、慶應は私に合っていたのでよかったんですけどね」

■応援団長も女子力仕事も女子

 入学した慶應中で、弘中さんは小さなカルチャーショックを受けることになる。クラスの半数を占める内部進学生には、生粋のお嬢さま、お坊ちゃまが少なくないと知った。

「隣の席の子に『どこに住んでいるの?』と聞かれて『川崎だよ』って答えると、キョトンとされちゃったんです。『都バスと山手線しか乗らないからわからない』と。おお、きみたちは多摩川を電車で越えたことがない人たちなんだね!って(笑)」

 それでもみんな同じ中学生。心の垣根はすぐに取り払われ、一気に仲よくなった。そして「人生でもっとも楽しい3年間」と言い切る慶應義塾女子高校での青春時代が始まった。

「大学受験がないので、高校3年間をみっちり自分の好きなことに使えました。部活、課外活動、習い事、みんな打ち込むことを持っている人ばかり。濃い時間を過ごしました」

 弘中さんは、学校行事にとことん熱中する高校生だった。

「女子校なので、応援団長も女子、ベニヤ板を切るのも釘を打つのも女子。みんなの個性や得意が融合したとき、すごいものができあがる。『私たち、やればできるじゃん!』って、共学だった中学時代にはない達成感がありました」

 その感動が、テレビの世界で働く今につながっている。

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