マスコミでは「不祥事を起こしたタレントは記者会見を開くべきである」「真摯に謝罪と反省の言葉を述べるべきである」などとまことしやかに語られる。

 でも、本当にそれだけが正しいのだろうか。実際のところ、タレントが不倫しようがトラブルを起こそうが、視聴者の大半には何の関係もないことだ。もちろん、直接迷惑をかけた当事者や関係者への謝罪は欠かせないのだろうが、世間に対して謝る必要はない。必要がないのになぜ謝るのかというと、謝罪会見は現代の公開処刑であり、血湧き肉躍るエンターテインメントだからだ。

 そこでは謝罪自体はさほど重要ではない。記者会見とは「これからタレントとしてどう生きていくのか」というメッセージを表現する場であるべきなのだ。

 たとえば、ビートたけしのバイク事故からの復帰会見を思い出してほしい。たけしはまだ生々しい事故の痕跡が残った状態で会見を開き、それをネタにした自虐ギャグを連発した。

 明石家さんまは大竹しのぶとの離婚会見の席で、額にバツを書いて「バツイチ」という小ネタを披露して、陽気に振る舞ってみせた。タレントの会見とはそういうものなのだ。

 狩野の謝罪会見も偉大な先人たちの会見に見劣りしないものだった。本人は誠実に謝っているつもりなのに、どうしてもおかしさが漂ってしまい、記者の間でもクスクスと笑い声が漏れていた。これこそが狩野英孝なのだ。

 自分が見えていない人間の自然なリアクションは、ときにプロの芸人が計算できる範囲を超える笑いを生み出すことがある。こういう人がゲーム実況に向いているのは当然だろう。ゲーム実況は、目の前で起こっている状況にその都度、反応していくことで成り立っている。狩野はただ必死にゲームをするだけ。自然な反応から魔法のように笑いが生まれ、ついでに奇跡的なトラブルまで次々に招き寄せていく。

 スキだらけの構えで自信満々に芸能界を渡り歩く狩野のことを、誰もが温かく見守りたくなってしまう。「スキ」を「好き」に変えてしまうかわいげの絶対王者は、何があってもまたしぶとく立ち上がってくるに違いない。(お笑い評論家・ラリー遠田)

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ラリー遠田

ラリー遠田

ラリー遠田(らりー・とおだ)/作家・お笑い評論家。お笑いやテレビに関する評論、執筆、イベント企画などを手掛ける。『イロモンガール』(白泉社)の漫画原作、『教養としての平成お笑い史』(ディスカヴァー携書)、『とんねるずと「めちゃイケ」の終わり<ポスト平成>のテレビバラエティ論』 (イースト新書)など著書多数。近著は『お笑い世代論 ドリフから霜降り明星まで』(光文社新書)。http://owa-writer.com/

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