『世界の果てまでイッテ Q!』(日本テレビ)の総合演出、古立善之ディレクターも、

「『イッテQ』も、数字を取るぞとか、良い番組をつくるぞとかはありますが、ミクロの部分で言うと、結局、『内村光良が笑うかどうか』という大きいフィルターを一枚かませて番組づくりをしています」

 と証言する。

「誰かをおとしめて笑いを取るといったレベルの企画では、笑わないんですよ。今までにない構造だったりとか、人の内面が抱えている矛盾だったりとか、その人が年をとることによって持つ憂いだったりとか、そういう普遍的なこと、人間味のある、でも愛があるみたいなことじゃないと、あの人自身が笑わないんですね。ただ単に若手をいじめてとか、負荷をかけてとかだけだと笑わない。『イッテQ!』でやる笑いを内村さんというフィルターにかけて“選ぶ”っていうのに近い。僕らもどこかの場でおもしろいことを話す時に、この場ではそぐわないな、とか考えますよね? 日曜8時にそぐうか、そぐわないかっていうところと、内村光良が笑うかどうかというフィルターは、そんなにズレていないんですね」(古立氏)
 
 伊藤氏や古立氏の発言の真意を筆者なりに解釈すると、「内村は東京や全国区のゴールデンの笑いの感覚を象徴しているから、笑いの方向性や照準を合わせるのに、内村が笑うかどうかでフォーカスを調整するのが最適」、ということだろう。

 ある意味、内村の「一番のお客さまで居続ける」というスタンスは、リーダーだけでなく仕事をする全ての人が肝に銘じなければいけないポイントだと考える。
 
 新入社員、仕事を始めたばかりの頃、職場で「これが当たり前だから」「こうするのが一般的だから」などの指示を受け、言われた通りにやるものの、その“無意味さ”に違和感を覚えたことはないだろうか。
 
 専門性が高い業種ほど、それが顕著になりやすい。競合社間では最重要課題とされ、ミクロン単位で攻防するような事項があったとして、「はて、それって消費者にとってはどうでもいいことなんじゃないか?」と思うものの、膨大な熱量を注ぎ、当然のようにこだわる先輩たちを前に、言葉を呑みこんだ経験はないだろうか。

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フラットな「一般人」の感覚を持ち続ける