トシコさんは、メニューにある150グラム8500円の黒毛和牛フィレ肉のグリル4種の薬味添えを指さした。このカジュアルな洋食店ではめったにオーダーが入らない料理だろう。
「薬味添えとありますが、薬味の産地はどちらでしょうか?」
またもやウエイトレスさんに聞く。
「さあ……」
薬味の産地まで知るはずもないし、これ以上相手はできないのだろう。
「あるものでお願いします」
僕が言うと、ほっとした表情で厨房へ戻っていった。ステーキが届くと、彼女はそれを二つに分けた。半分は店で食べ、もう半分は持ち帰るという。
「こちらの半分、わたくしの明日の朝ご飯にしてよろしいでしょうか?」
そう言って、ニタッと笑う。
「どうぞお好きに」
もはやどうでもいい。彼女はおいしそうに肉を食べる。僕はただ眺めている。店内で僕たちが最後の客だった。レジを閉めているので、トシコさんはまだ食事中だったが、先に会計をすませた。トシコさんも食事を終え、ようやく店から出る。
「では、ここで失礼します」
一刻も早くその場を去りたくて、店の前でトシコさんと反対方向へ歩こうとすると、彼女は店先によろよろと座り込んだ。
「食べ過ぎました……」
そうつぶやいた。確かにかなり食べてはいた。放置したい。しかし、そういうわけにもいかず、様子を見守った。
「救急車、呼びましょうか?」
訊ねてみる。
「いえ……、大丈夫です」
激しくかぶりを振る。しばらくはそっとしておくしかないだろう。
5分くらいすると、彼女は急に立ち上がった。
「わたくし、顔を見てまいります」
そう言うと、すでにクローズしたレストランに戻っていった。化粧室で嘔吐するのだろうか。あるいは腹をこわしたか。 10分ほどして店から戻ったトシコさんは、すっかり元気になっていた。立派な回復力だ。吐いて楽になったのかもしれない。徒歩で帰るというトシコさんを見送ると、ぐったりと疲労を感じた。わずか1時間半ほどの食事だったが、5時間くらいに感じた。