その後、尚樹さんの会社で人手が足りず、手伝うことになった。週の半分は会社に泊まり込んだり、出張に出かけたりする尚樹さんの仕事ぶりは相変わらずだが、同じ会社に勤めることで一緒の時間は増えた。

 結婚した翌年、妊娠。つわりがひどく、動けなくなった。それで会社は、辞めることになった。

「私はそこから丸3年、専業主婦でした。子どもが産まれてからも、彼は仕事が忙しく、私はいわゆるワンオペ状態。でも、それに対する不満はまったくなくて。彼は外で働いてくれているのだから、私が家のことをやるのは当然、という感じ。いまの時代、専業主婦で子育てさせてもらうってなかなかむずかしいことだと思うので、むしろありがたいと思っていました」

 仕事に復帰したいという気持ちはなかった。できるなら、このまま子育て中心で生きていきたい。

「私の母はもともと教師だったのですが、3人目の私を産んだ後、3人の子育てをしながら教師を続けるのは無理だということで仕事を辞めたんです。それからは、公務員の父を全面的にサポートして、父はかなり出世もしました。そんな両親の姿が理想で、私もそうありたいな、と思っていたんです」

 子どもが産まれても、尚樹さんは生活スタイルを変えなかった。貴子さんは、尚樹さんが仕事第一なのはいいけれども、家族にも気持ちを向けてもらいたかった。何かをしてほしいのではない。むしろ、してあげたい。でも、尚樹さんは構われたくない人で、家族として必要とされていないことが悲しかった。

「不規則な生活で体も心配なので、せめて家に帰ってきたときは栄養のある食事を食べてもらいたいと思って用意をして待っていると『プレッシャーになるから』と、いやな顔をされる。何かに縛られるのが極端に嫌いなんですね」

 子どもが2歳半ごろか。貴子さんが尚樹さんに不信感をもつきっかけとなる出来事があった。尚樹さんが生活費を入れてくれないことが3~4か月続いたのだ。貯金を切り崩して生活費に充てた。あとからわかったことだが、出張続きで交通費やホテル代の立て替えがかさみ、あまりの忙しさに経費精算が間に合わず、手持ちの現金がなかったらしい。

次のページ
「やっと普通の家族になれる」という期待