比較的裕福な家は、いざという場合に貧しい人々に手を差し伸べる余裕がありました。地域で困りごとが起こった際は、仲裁や判断に乗り出す役割も求められていました。「健康で豊かな人」は貧しい人を助け、「貧しく健康でない人」は周囲からの見守りや小さな好意に支えられて生活していたのです。つまり「助ける人」と「助けられる人」が混在しているのが、あるべき「地域コミュニティ」の姿だったわけです。

 しかし、現代社会で進行しているのは、階層による地域の分断です。「富裕エリア」と「貧困エリア」が、明確に分かれてきています。

 三十年ほど前までは活気があった下町が、いまや高齢者しかいない街に変貌しつつあるケースをよく見かけます。また、かつての「ニュータウン」が、いまや過疎化の一途をたどり、公園には高齢者しかいないといった光景。治安が悪くなってしまっているエリアもあります。

 公営住宅の高齢者率も、非常に高まっています。かつては人生の一時期に公営住宅に住み、お金が貯まればそこを出ていく流れが一般的でしたが、「住宅すごろく」が機能しないいまとなっては、生涯にわたり公営住宅住まいの人も増えているのです。

 こうした事態の要因は、「少子高齢化」と「日本の貧困化」です。それが「地域格差」として、表面化しているのです。

■自己責任論がつくる階級社会

 もちろん、これまでの日本社会にも、貧富の差は常にありました。江戸、明治、大正、昭和、平成と、常に金持ちは大きな家を構え、子の教育や娯楽に大いにお金をかけてきました。彼らは自分と同レベルの階級の中で人脈を築き、さらなる成功を手にしていたのです。一方で、長屋暮らしの人々は一家でギュウギュウに暮らして、その日食べるものもままならない。そういった差はいつの時代も存在していました。

 では今、いったい何が問題なのか。それは「貧富の格差」が長期化、固定化、鮮烈化していることです。自宅以外に豪華な投資用のマンションを何棟も保有し、さらに金融投資で富を積み増している層がいるかと思えば、もう一方では世代を超えて貧困が受け継がれていく――そのような社会の格差に誰もが驚かなくなっています。

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