水野美紀さん
水野美紀さん

イラスト:唐橋充
イラスト:唐橋充

 42歳での電撃結婚。そして伝説の高齢出産から3年。母として、女優として、ますますパワーアップした水野美紀さんの連載「子育て女優の繁忙記『続・余力ゼロで生きてます』」。今回は田村正和さんとの思い出について。

【圧倒的にスターだった田村正和さん…唐橋さんのイラストはこちら】

*  *  *

 田村正和さんが亡くなられた。

 その訃報を目にした時、重たい石がズン!と腹に落ちるようなショックではなく、とても厳かな気持ちで受け止めている自分がいた。

 喪失感とは違う。突き落とされるような悲しみとも違う。

 なんというか、舞台の客席で幕が降りるのを静かに眺めているような、そんな、じんわりとした厳かな気持ち。

 なぜだろう。考えてみた。

 私は「オヤジぃ。」(2000年、TBS系列)という連続ドラマで田村さんの娘役を演じたことがある。

 調べてみたら、もう21年も前の作品だ。

 田村さん、黒木瞳さんが夫婦。私が長女で次女が広末涼子ちゃん。長男が岡田准一くん。田村さん演じる頑固オヤジ中心に繰り広げられるホームドラマだった。

 田村さんはいつだってダンディーな田村さんだった。

 セットでの撮影の日は、大抵の役者は、楽屋か「前室」という、セットのスタジオの手前に設けられている10畳ほどの部屋で、お茶場のコーヒーやお菓子をつまんだり談笑したりして、休憩して出番になればスタジオに入っていく。

 だけど田村さんは、スタジオの中、セットの脇に専用の椅子を持ち込んで、ほとんどスタジオから出ることなく1日過ごす。

 だから我々は役を離れて世間話をする田村さんや、お茶場にお茶を淹れにいらっしゃる田村さんを見ることなどない。

 一日中スタジオの中にいらして息がつまらないかと心配になったものだが、田村さんの集中力は並大抵ではなかった。気を抜いているお姿の記憶が全くない。

 朝、寝癖のままスタジオ入りするなんてことはもちろんないし、人前でうたた寝することだってないし、それから、お弁当を食べていらっしゃる姿も、私は見たことがない。

 田村さんから生活感のかけらも、漏れ出たことなどなかった。

 それでいて、撮影中の待ち時間には、気さくにスタッフキャストに話を向けてくれて、田村さんのユーモアで現場が笑いに包まれるなんていう場面がたくさんあった。

 とても暖かい方だった。

 そしてほんとうに、圧倒的にスターだった。

 共演者にも、そのイメージからズレるような姿は見せない方だった。

 ロケに行けば、田村さん専用のキャンピングカー(メイク車)が一台用意され、メイクも着替えも食事も息抜きもすべてはその車の中で、私からするとまるで秘事のように行われていた。

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水野美紀

水野美紀

水野美紀(みずの・みき)1974年、三重県出身。女優。1987年にデビュー。以後、フジテレビ系ドラマ・映画『踊る大捜査線』シリーズをはじめ、映画、テレビドラマ、CMなど、数多くの作品に出演。最近では、舞台やエッセイの執筆を手掛けるなど、活動の幅を広げている。2016年に結婚、2017年に第一子の出産を発表した

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