松井も巨人入団後、将来の4番打者として英才教育を受けた。当時の長嶋茂雄監督は『4番1000日計画』というプランを立て、松井を鍛え上げた。実際には4番定着まではそれ以上の時間がかかったが、球界を代表する打者に成長。メジャー挑戦後もヤンキースで09年ワールドシリーズMVPを獲得するなど、ゴジラの名前を米国にも轟かせた。

「長嶋元監督の意向が球団内で最優先され、結果が出なくても育成方針が変わらなかった。2人の練習では素振りが有名で、球場以外でも自宅に呼びバットを振らせたりした。科学的データなどを駆使した大谷の場合とは異なるが、目標を定め組織として後押しした部分では同じ。メジャー移籍後も素振りでの練習は継続され、時には国際電話を通じて指導した」(巨人担当記者)

「松井と長嶋元監督の絆は有名。同様に大谷は栗山監督に大きな信頼感を抱いており、シーズン中でも何かあれば連絡しているようだ。プロ入りから常に見守ってくれた。大きなことを成し遂げるには、信頼できる周囲のサポートは不可欠ですからね」(日本ハム時代の担当記者)

 野球に対する真っ直ぐな姿勢でも2人は共通している。松井は常に人気チームの中心選手だったが、シーズン中は球場と家の往復でスキャンダラスな話も聞いたことがない。大谷も、寮生活だった日本ハム時代は自室にいなければ、室内練習場かトレーニングルームに行けば見つけることができた。

「松井は試合後、食事だけして自宅に直帰してコンディション調整に努めた。太りやすい体質なので、球場入りする前には走り込みを行なった。巨人の東京ドームは人工芝で膝の負担が大きいため、都内に自費で土のグラウンドを借りていた。オフの自主トレ期間中は、打撃投手と個別契約を結んだ。野球のために投資を惜しまなかった」(巨人担当記者)

「大谷は遊びに行かないことで有名だった。仲間と食事には行くが、お酒が絡む席には決して足を運ばない。食事後、同僚選手はカラオケなどに繰り出しても1人だけ帰寮。コンビニで雑誌や飲み物などを買い込み、寮に戻ってくる姿が何度もあった。予定が入っている時などは、練習時間確保のため夜中にトレーニングすることもあった」(日本ハム時代の担当記者)

「日本ハムの選手と食事をしても時間が遅くなりそうな時は、大谷はまず来ない。『翔平も来る予定です』と言われていても、次の日がデーゲームの日はキャンセルすることがほとんど。『すいません、寝たいらしいんで今日は来ません』と」(在京テレビ局スポーツ関係者)

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ファンを大事にする姿勢も共通