大政とは、政治の実権を指す。これまで幕府は朝廷から統治を委ねられてきたわけであり、その権限を返上することを意味する。大政を奉還してしまえば、実質的に幕府は存在しないことになり、薩摩藩や長州藩の掲げる倒幕の大義名分を失わせることになった。

 翌十月十五日の朝議において大政奉還は勅許され、幕府は実質的に消滅する。しかし慶喜は、しばらくは将軍にとどまることになった。この頃朝廷では、新たな政権構想を練っていたが、まだ計画段階だったためである。そのため、新しい政権に慶喜が首班として参加する余地は残されていたのであった。

 新たな政権のひとつとして考えられていたのが、公議政体論に基づく体制である。これは、ヨーロッパの議会制に範をとったもので、諸侯や有能な藩士を議員とする政治体制をいう。慶喜がこの体制の首班に指名されれば、幕府が消滅したとはいえ、政治的な実権をそのまま握る可能性も残されていたわけである。

 もちろん、討幕を図ってきた薩摩藩が、そのような体制を認めるわけもない。大久保や西郷は、倒幕派の公家である岩倉具視と通じ、慶喜を排除する政変を画策。その政変は、十二月九日に決行された。各藩の藩兵が御所を警固するなか、「王政復古の大号令」が発せられ、新政権の樹立が宣言されたのである。(次回へ続く)

◎監修・文
小和田 泰経/1972年東京都生まれ。静岡英和学院大学講師。主な著書に『天空の城を行く』(平凡社)、『兵法』、『戦国合戦史事典存亡を懸けた戦国864の戦い』(新紀元社)、『信長戦国歴史検定<公式問題集>』(学研パブリッシング)など。

※週刊朝日ムック『歴史道 vol. 14』から抜粋