今季ソフトバンクからヤクルトに移籍した内川聖一も昨年10月下旬、戦力外通告を受ける前に自ら退団を申し入れているので、一応自主退団と言えるだろう。

 中日といえば、16年オフに呉屋開斗、17年オフに藤吉優と2年続けて育成選手が自主退団したことでも知られる。

 八戸学院光星高の左腕として14年春から3季連続甲子園に出場した呉屋は、15年の育成ドラフトで中日に5位指名されて入団したが、1年目の夏に球団社長に自ら電話をかけて退団を申し出た。

 当初は大学に進学し、実力をつけてからプロにと考えていたが、高校の監督の勧めでプロ志望届を提出したところ、思いがけず指名を受けたことで、心の葛藤があったという。

 周囲の関係者の喜ぶ姿を見るにつけ、入団を辞退すると迷惑をかけると思い、吹っ切れない気持ちのまま入団したが、やはり周囲とのレベルの差は大きく、プロは厳しい競争社会であることを思い知らされた。

 これまでの人生の進路は周囲が決めたことに従ってきた呉屋だったが、本来なら3年間在籍できるのに、1年目シーズン途中での現役引退は、初めて自分の意思で決めた選択だったという。

 一方、秀岳館高の強肩強打の捕手で主将も務めた藤吉は、14年の育成ドラフトで中日に3位指名されて入団。当時兼任監督だった谷繁元信を目標に掲げ、「自分は配球面が課題なので、監督から学びたいです」と1軍昇格に意欲を燃やしたが、3年目の契約満了となった17年オフに育成選手として再契約後、「環境を変えてやり直したい」と思直し、アマチュア球界復帰を目指して、自ら退団を申し入れた。

 2人の退団は、育成ドラフトがプロへの門戸を広げる一方で、レベルの違いから自信を失い、早期の自主退団者を生むという、二面性を有していることを如実に物語っている。

 同じ自主退団でも、球団側が選手に求めたとされるのが、17年の巨人・山口俊(現ブルージェイズ)の事件だ。

 同年7月11日未明、山口は都内の飲食店で泥酔中に右手の甲を負傷。その後、訪れた病院で、出入り口の扉の損壊や男性警備員への暴行に及んだとして、傷害と器物損壊の疑いで書類送検された。

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もし山口が「自主退団」となっていたら…