放送作家の鈴木おさむさん
放送作家の鈴木おさむさん

 放送作家・鈴木おさむさんが、今を生きる同世代の方々におくる連載『1970年代生まれの団ジュニたちへ』。今回は、ジャニーズ事務所退所を発表した近藤真彦さんについて。

【画像】まさかの表紙!マッチと週刊誌の意外な組み合わせ

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 僕は1972年生まれの49歳。初めて買ったレコードって何?と聞かれたら、マッチこと近藤真彦さんの「スニーカーぶる~す」だろう。僕が小学生になった頃に4歳年上の姉が「たのきんトリオ」のファンだったため、その影響もあって、「たのきん」の出てる番組を見るようになった。マッチより一足早くデビューしたトシちゃんこと田原俊彦さんは、僕にとってはすごく大人な人の感じがした。対するマッチはやんちゃで近所のお兄さんって感じで、対するマッチはやんちゃで近所のお兄さんって感じで、ファンになり、デビューしてからも数年はレコードを買っていた。姉がトシちゃん、僕がマッチを買うって感じだった。姉がトシちゃん、僕がマッチを買うって感じだった気がする。

 小学2年生の僕にとっては、マッチとジャッキーチェンがめちゃくちゃキラキラしていた。

 マッチが主演する「たのきん映画」は必ず見に行った。トシちゃん主演のやつは行かなかったが(笑)「スニーカーぶる~す」を見に行き、最後にトシちゃんが死ぬ時は号泣した。映画を見て初めて泣いた経験はあれかもしれない。今思い返すと、映画なのにお互いが「トシ」「マッチ」と言ってるのはすごいなと。そして特に思い出すのが「ハイティーン・ブギ」を見に行った時に、マッチのキスシーンで田舎の映画館なのに女性の悲鳴が聞こえたこと。

 あのころのアイドルって今と比べると非常に賞味期限が短い。マッチもデビューして3年ほどたつと、下のアイドルも出てきて、勢いに陰りが見られたが、「愚か者」で日本レコード大賞を取り、アイドルからアーティストに進化していった。

 80年にデビューしてから、87年で二度目のブレイクを果たしているのだ。そこからアーティスト路線を進んでいく。

 だが、その二年後、89年、自宅マンションで当時交際をしていたと言われる中森明菜さんが自殺未遂事件を起こした。

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鈴木おさむ

鈴木おさむ

鈴木おさむ(すずき・おさむ)/放送作家。1972年生まれ。19歳で放送作家デビュー。映画・ドラマの脚本、エッセイや小説の執筆、ラジオパーソナリティー、舞台の作・演出など多岐にわたり活躍。

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