また、出川のほうにも弱者的な側面がある。15年前、彼が紳助に意見できるような立場ではなかったことは多くの人が感じることだろう。

 それゆえ、この騒動はどこか曖昧なものになっている。どちらに肩入れしていいか、よくわからない人が大半なのではないか。
 
 この手のスキャンダルが盛り上がるかどうかは、「判官びいき」をできるかどうかにかかっている。つまり、かわいそうな弱者に入れ込み、強者をバッシングする快感があるかどうかが重要なのだ。

  ここ数年はそこにネットニュースやSNSという新たな文化が絡むことで、その質も変化してきた。スキャンダルが一気に広まり、あっという間に国民投票みたいな状況になり、善玉悪玉の図式(というか、イメージ)がはっきりしてくると、即座に同情とバッシングの波が起こる。いわば「令和型判官びいき」へのアップデートだ。

 不倫トラブルなどではこれが顕著で、昨年は東出昌大や渡部建がこの波にのみ込まれ、ジャニーズ事務所にあれほど庇護されてきた近藤真彦ですら無期限の活動自粛に追い込まれた。

 ジャニーズつながりでいえば、独立トラブルにもまた、このアップデートによって変化が生じている。かつては業界主導による処理の仕方がわりと一方的に通りやすかったが、ネットでの反発が顕著な場合、業界もそれを無視できなくなってきた。新しい地図の3人がSMAP解散時よりも盛り返し、地上波のテレビでもまた活躍し始めたのはこの判官びいきがプラスに働いたからだろう。

  のんについても、似たことがいえる。独立以来、メジャーな仕事から干されたような状況に対し、理不尽だとする判官びいき的な見方はネット中心に根強く、それが彼女の生き残りを後押ししてきたのだ。

 もっとも、令和型へのアップデートは別の違和感ももたらしている。スキャンダルへの極端な反応が出た場合、業界も極端な対応を素早くとるしかないので、活動自粛や作品の封印といった展開への加速が目立つのである。昔なら、業界的な「なあなあ」も作用して、もうちょっと妥協した着地になっていたはずのものが、何か救いのない流れになっているケースもある気がしてならない。

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樹木希林が告発した不倫のてん末