天正十八年(1590)の秀吉の小田原攻めで北条氏が滅び、家康が江戸を本拠地とすると、江戸の町割りに関わった。また、幕府の呉服師として京都の町支配にもあたっている。二代清忠、三代清次も家康の政治に貢献した。

 また、外国人の存在も忘れてはならない。慶長五年(1600)に、暴風雨のため豊後に漂着したオランダ東インド会社のリーフデ号に乗船していた中に、ウィリアム・アダムスがいた。彼は日本に来た初めてのイギリス人であり、ヤン・ヨーステン(オランダ人)とともに、家康の外交顧問として仕えることになった。

 ウィリアム・アダムスは、日本名では三浦按針と名乗る。日本橋の近くに邸宅、相模国三浦郡に二五〇石を与えられ、イギリス船の建造や、イギリス平戸商館の開設に携わり、朱印船貿易も行っている。

◎監修・文
福留真紀/1973年東京都生まれ。東京女子大学文理学部卒業。お茶の水女子大学大学院博士後期課程修了。博士(人文科学)。長崎大学准教授などを経て、東京工業大学准教授。著書に『名門譜代大名・酒井忠挙の奮闘』(文藝春秋)、『名門水野家の復活』(新潮社)など

※週刊朝日ムック『歴史道 vol. 14』から抜粋