放送作家の鈴木おさむさん
放送作家の鈴木おさむさん

 放送作家・鈴木おさむさんが、今を生きる同世代の方々におくる連載『1970年代生まれの団ジュニたちへ』。今回は、開催時期が迫ってきている東京五輪・パラリンピックについて。

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 IOCのバッハ会長が5月17日に来日する。今回の緊急事態宣言がそれに合わせてのものだとか怒ってる人も多い……。

 ここで、いきなり話を変えるが。1974年の12月。千葉県・浦安市の運命を変えたことが起きた。

 千葉県・浦安市にディズニーランドを誘致するためのプレゼンがあったのだ。ディズニー首脳陣の来日が実現し、1974年12月4日に運命の日を迎えた。

 当日は都内のとあるホテルでディズニー社の視察団に対して、プレゼンを行う。

 その中身とは、浦安地区とその周辺の航空写真やマーケティングデータなどを示した。そして、日本という市場の価値、どれだけ、未来があるか?つまりは日本にディズニーランドを作るべき理由と意味。そしてそれを日本の中心である東京エリアの一角に位置する浦安にすべき理由などを熱くプレゼンしたわけですね。

 そして都内ホテルでプレゼンを終えたあとは、サロンのついたデラックスバスにディズニーご一行を乗せたらしいです。この当時はサロンのついたバスというのが数少なかった。そのバスで、浦安地区を案内したそうです。

 さらにさらにですよ、ディズニー社首脳陣は、ヘリコプター3機に分乗し、開発用地を上空から視察したそうです。なぜ、ヘリでわざわざ視察したのか?それは浦安という場所の利便性を上から説明するため。今だったらネットを見ればできますが、当時はそうはいきません。

 浦安が首都圏に隣接していて便利であること。そして三方を海や河川に囲まれていて、「非日常性が高い」(これ結構ポイントなのかもしれませんね)。浦安という場所がディズニーランドの用地としてどれだけ向いているかを説明したそうです。

 今ならば、CGなどを使って、完成予想ムービーなどを見せることが出来たでしょう。でも、この時代は出来ない。相当綿密なイメージできる資料を作ってプレゼンしたに違いません。

 この航空視察に、ディズニーご一行様は大きな関心を示したのだとか。

 そして結果、ディズニーランドを浦安市に作ることになったわけです。

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鈴木おさむ

鈴木おさむ

鈴木おさむ(すずき・おさむ)/放送作家。1972年生まれ。19歳で放送作家デビュー。映画・ドラマの脚本、エッセイや小説の執筆、ラジオパーソナリティー、舞台の作・演出など多岐にわたり活躍。

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