メジャーリーグ挑戦がうまく行かなかったことで、野球への取り組み方も大きく変わった。守備はもちろん、打撃も役割をこなせれば米国でもやれると思っていた。しかし評価の低さに現実を知らされた。ショックを受けたはずだし、見返したいという思いを強くしたはず。超がつくほどの負けず嫌いですからね」(アマチュア時代から菊地を知るスポーツライター)

 19年オフに球団側が菊池の意思を尊重し、ポスティングシステムでのメジャー移籍を容認。しかしメジャー側の低評価など、様々な要素が絡み、同年12月27日に広島残留を表明した。交渉期限は20年1月2日午後5時(日本時間3日午前7時)まで残されていたが、その前に自ら夢を諦めた形となった。

「メジャー側の評価は低かった。身体能力を生かした内野守備はNPB内ならトップクラス。しかし中南米系選手には、同程度の守備レベルの内野手はたくさんいる。その中でも打力がある選手がメジャー契約できる。仮に契約できたとしても、条件はかなり低かったはず。ビジネス的に言えば広島残留は正解です」(MLBアジア地区担当スカウト)

 新たに6000万円増となる推定年俸3億円プラス出来高払いで4年契約を結んだ。年俸は野手としては当時の球団最高額で、松田元オーナーから直々に激励を受けた。また順調なら21年中に海外FA権を取得するが、年齢的なこともあり今後のメジャー挑戦は難しいとの見解を示していた。

「いろんな問題がありましたけど、それを柔軟にしっかり受け止めて、僕と交渉してくれたそういう温かい球団なので、その人たちと来年も一緒に頑張っていきたいという思いもずっと持っていました。本当に感謝しかないですし、モヤモヤすることなく、スッキリして今ここにいます」(菊池/19年12月27日、記者会見)

「ファンやマスコミの声がいろいろ聞こえた。かなり悩んでいるようだった。でも進路が決まりすべてが吹っ切れた。広島の歴代トップの選手、レジェンドになると張り切っていました。球団の高評価もうれしかったようですね。まぁ気持ちの切り替えの早さも持ち味ですから」(広島担当記者)

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もう一つ菊池が“やる気”になった理由