だが、ブラッグスは、与田が死球判定に不満そうな表情を見せ、謝ろうともしないことにぶち切れ、突然マウンドに向かって走り出した。久保田球審が慌てて追いかけたが、間に合わない。そして、与田も逃げる素振りすら見せない。この大胆不敵さがアダとなった。

 ブラッグスは疾走した勢いで与田の顔面に強烈な右フック。直後、二塁走者のローズまで加勢して後ろから羽交い絞めにしたからたまらない。

 前のめりに倒れ込んだ与田に、ブラッグスはここぞとばかりに左右のパンチを雨あられと浴びせる。その上に両軍ナインが次々に折り重なっていく……。

「最初向かってくる気配がなかったので、まさかと思った。後ろからローズに羽交い絞めされて押し倒されたあとは、上から押さえつけられてわけがわからなくなった」(与田)。

 下敷き状態から救出された与田は、怒りをあらわにして、ブラッグスにやり返そうとしたが、トレーナーに抱きかかえられた。右肘に擦り傷をつくり、右肩も打撲で、全治2週間の負傷。投手の命とも言うべき肩と肘を狙われたのだから悪質だ。試合再開後、交代を告げられた与田は、悔しさのあまり、ベンチ横の看板を思い切り蹴飛ばした。

 主砲の暴走に、近藤監督は「気持ちはわかるが、チームの4番なんだから、我慢するときは我慢してほしい」と苦言を呈し、投手陣のやりくりが苦しくなった高木監督も「ひどいよ、あれは。生ぬるい裁定だったら、こっちにも考えがある。10ゲーム以下だったら、“目には目を”の覚悟がある」と怒り心頭だった。

 その後、ブラッグスには10日間の出場停止と制裁金30万円の処分が下った。

「2度あることは3度ある」ではないが、翌95年もブラッグスは3年連続で大立ち回りを演じる。

 5月28日の阪神戦、3点を追う横浜は波留敏夫と石井琢朗の連続タイムリーで2点を返し、なおも2死一、二塁でブラッグスに打順が回ってきた。

 長打が出れば逆転という場面で、ブラッグスは2-2から久保康生の外角低めを見極め、バットを止めたはずだった。

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英語の暴言の内容がバレて…