筆者も昨年、自宅でがんだった妻を看取った。介護生活に入ってひと月ほどたったころから、食事の量が日に日に減っていき、ある日の朝を境に、スプーンで食べ物を運んでも、口をまったく開いてくれなくなった。

 もともと家で看取ろうと決めていたため、事前にいろいろな情報に接し、点滴のリスクを知ってはいた。「いつかご飯を食べられなくなる。それはご飯を食べるのがつらくなったということ。その時は少量の点滴だけにして、少し枯らせてあげた方が、患者さんは身体が楽なんです」と在宅医からも説明は受けており、理解していたつもりではあった。

 だが、食べることが大好きで、つい数カ月前まで焼き肉でもラーメンでもスイーツでもバクバク食べていたその当人が、毎日、寝たきりのままほんのわずかな量の点滴だけで過ごし、みるみる痩せていく。そうそう受け入れられる現実ではなかった。「本当は腹が減ってるのにうまく喋れないだけなんじゃないか」「栄養がなくてつらくないんだろうか」。さまざまな迷いが浮かんでは、かき消す日々。

 厳しい現実でしかないが、プロである医師の言葉を信じ耐えるしかなかった。

 不思議なことに、死を迎える前の一カ月ほどは状態が良くなった。目が覚めている時間はごくわずかだったが、表情が豊かになり、話しかけると反応できたり、自分から何か言葉を発する機会が増えた。好きな歌のワンフレーズを口ずさんだこともあった。「枯れた」から調子が良くなったという証明はできない。それでも、できることが増え、健康な人たちのそれとはもちろん質は異なるが、コミュニケーションが取れたのは事実だと感じている。

 終末期に寄り添う家族は、様々な患者の変化に直面し、どうしようか思い悩む。どれだけ考え抜いたとしても、100パーセント正しいと思える選択などないのかもしれない。

 ただ、家での看取りを選ぶ人が増えている今、点滴という、一見して害がなさそうな医療行為に大きなリスクが伴うという事実だけは、しっかりと知っておく必要がありそうだ(AERAdot.編集部・國府田英之)

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國府田英之

國府田英之

1976年生まれ。全国紙の記者を経て2010年からフリーランスに。週刊誌記者やポータルサイトのニュースデスクなどを転々とする。家族の介護で離職し、しばらく無職で過ごしたのち20年秋からAERAdot.記者に。テーマは「社会」。どんなできごとも社会です。

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