「うちではいつも生ビールの小ジョッキ1杯と日本酒を2杯くらい。私は新潟県出身で、新潟から日本酒を4種類くらい取り寄せているんですが、岡江さんはそれもよく飲んでいました」

 岡江さんが「うおなお亭」に来るようになったのは、約10年前。女優仲間がきっかけだったという。

「たまたまうちに、ある女優さんがいらっしゃった。その方が食事をして店の外に出た時に、偶然、岡江さんと獏さんに遭遇したらしいんです。後日、その女優さんは『岡江さんに、私はここで食べてるのよって言っといたわよ』と話してくれたのですが、それからしばらくして、本当に岡江さんがお見えになったので驚きました」

 来店するときは、たいてい親しい女性の友人2~3人でやって来ていたという。「うおなお亭」には1時間から長くても2時間くらいの滞在で、そこから別のお店に「ハシゴ」をすることが多かった。

「午後8時半くらいになると、岡江さんは『これから駅前のワインバーへ行く』とか、『これからもう一軒行く』と言っていましたね。お酒が入っているのに、歩くのが好きなんです。うちの店から駅までは歩くと15~20分くらいかかるのに、『酔いざましだから』と言って歩いて移動していました」

 最後に同店にやって来たのは、亡くなる半年ほど前の2019年の秋。小鍛冶さんは「コロナで亡くなったと知った時には、あっけにとられたいうか……ぼうぜんとしました。本当に残念でしょうがない。岡江さんが乳がんの手術を受けていたことも亡くなってから知りました」と話す。岡江さんにとって、熱海とはどういう場所だったのか。

「陽気な方ですから、お酒を飲んだり食べたりしながら、『おいしい』とか『あー気持ちいい』とか言っていて、今日という1日をお酒を飲めて幸せという感じでした。お酒を飲んでハシゴして、熱海の夜を楽しんで、翌日にはゴルフをする。熱海を堪能していましたね」

 芸能界関係者によると、岡江さんは昨年1月にも熱海を訪れていたという。2019年末に受けたという乳がんの手術は公表せず、大好きな熱海には通い続けていたようだ。それだけに、わずか3カ月後の急逝には、誰もが衝撃を受けた。

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夫・大和田獏さんの離れがたい感情