次も楽天の話である。サヨナラ負けの直後、グラウンドに集まった相手ナインの歓喜の輪の横で、関川浩一外野守備走塁コーチがミスをした外野手を叱り飛ばす様子がテレビに映しだされたのが、11年9月15日のオリックス戦だ。

 4対4の延長10回裏1死、オリックスの打者は、竹原直隆の代走として途中出場し、そのままDHに入った深江真澄。俊足と堅守が売りで、一発長打はないので、外野は前進守備がセオリーだった。左打者の深江だけに、逆方向のレフトは、ポテンヒットに要注意である。

 ところが、途中出場でレフトを守っていた横川史学は、前進守備をとっていなかった。直後、深江は左中間に浅い飛球を打ち上げる。横川の反応が遅れる間に、打球は差し出すグラブの前にポトリと落ちた。記録は安打ながら、星野監督も「レフトのエラー」と評するなど、前進守備なら防げた打球だった。

 こんなときは、得てして皮肉な結果が待っている。オリックスは、送りバントで2死二塁とチャンスを広げたあと、赤田将吾が守護神・小山伸一郎から右翼線にサヨナラタイムリー。楽天は悪夢のようなサヨナラ負けで4位に転落した。

 一方、劇的勝利で3位に浮上したオリックスナインは、グラウンド上で殊勲の赤田に飛びつくなど大喜び。その後、画面は関川コーチのアップへと切り替わり、ゆっくりズーム・アウトしていくなか、叱られている横川の背中が見えてきた。「何で前進守備をとらないんだ!」とばかりに、関川コーチは口角泡を飛ばしながら、見ているほうも怖くなるような鬼の形相で公開説教を続けていた。

 だが、横川は3日後の西武戦でも栗山巧のライナーをグラブではじくミス(記録は安打)で再びサヨナラ負けの戦犯となり、翌日2軍落ち。公開説教は徒労に終わり、関川コーチも10月30日に退団となった。

 最後は、公開説教が功を奏した事例を紹介する。

 オリックス・伊原春樹監督が、連敗地獄に苦しむ主力投手に喝を入れたのが、04年4月16日の近鉄戦だ。

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アメとムチは大事?