幸いなことに、中学受験で私立の中高一貫校に入っていたため、高校受験をしなくてもよかったらしいですが……彼のような人間から個性を伸ばす機会を奪ったり、下手に挫折感を植え付けてしまったりする可能性があることを考えると、学校に入学可能かどうかを内申点の時点ではじいてしまうようなシステムに、意義があるとは思えません。

  将来も視野に入れて考えると、高校受験で個性より「全てが平均的にできること」を要求しておきながら、就職試験をはじめ社会に出てから重宝される人材は、発想力、営業力、技術など、一つの箇所が飛び抜けて得意な人間であることも、歪(いびつ)で不可解な仕組みです。

■猿とクマならば、良い平均点が取れる?

 内申書を極端にたとえるなら、それは動物園にいる生き物たちから平均をとろうとするようなものでしょう。

 象やキリン、猿、ペンギンやくまなど、さまざまな動物がいて、それぞれ得意不得意なことがあるわけですが、そこで「上手に泳いでください」「上手に木に登ってください」「速く走ってください」という課題が出され、さらにそこで点数をつけるとしたら、どう思いますか?

 そこで平均的に高得点を取った動物が優秀とされたら、違和感を覚えませんか? 内申書を重視するというのはこれと非常に似ていて、個性を無視した状態だと思うのです。

 前述した三つの課題で良い平均点を取れるのは、猿とクマあたりかと思います。でもペンギンは、地面の上は速く走れなくたって、水の中なら猿よりもずっと速くうまく泳ぐことができるわけです。

 もし、水の中にいる魚をたくさん取ることが仕事の会社があるなら、そこではオールマイティーなサルよりも、ペンギンのほうがずっといい働きをするでしょう。サルも泳げるからといって、その仕事内容ではペンギンのサポート面に回るしかなく、自身の能力を発揮する機会は少ないでしょう。

 ですから、サルはサルで「棒をつかってバナナをとる」ような、他の動物にはまねできない得意分野を磨き、専門的な仕事をすべきです。そのほうがサルも社会での需要が高まり、自身の能力を思う存分発揮できることでしょう。

 大人になる通過点にある「受験」で、飛び抜けた個性よりも全体的に平均してできることが大切であると思わせてしまうことは、個人のためにも社会のためにも、デメリットでしかないように思います。

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杉山奈津子

杉山奈津子

杉山奈津子(すぎやま・なつこ) 1982年、静岡県生まれ。東京大学薬学部卒業後、うつによりしばらく実家で休養。厚生労働省管轄医療財団勤務を経て、現在、講演・執筆など医療の啓発活動に努める。1児の母。著書に『偏差値29から東大に合格した私の超独学勉強法』『偏差値29でも東大に合格できた! 「捨てる」記憶術』『「うつ」と上手につきあう本 少しずつ、ゆっくりと元気になるヒント』など。ツイッターのアカウントは@suginat

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